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10 27
2018

読書

図書館初心者の五か月目の感想

 本はながらく自腹主義を貫いてきたのだが、ことしの五月ころに方針変更して図書館利用をはじめて五か月たったので、軽い感想をいってみる。

 本の自腹主義は、どこかの本に、本は身銭で痛めた金で買わないと身につかないということが書かれていて、忠実にまもってきたわけだが、図書館はどことなく抵抗があって使わなかった。

 稼げなかったり、失業していても、書店で買おうとしてきたので、お金がないから古本ばかり買うようになり、ブックオフの100円本しか買えないときも、図書館を利用することは考えなかった。図書館の抵抗はどこで生まれたのか覚えはない。

 わたしみたいに専門書志向のものが、ブックオフの一般書の100円本を買っても満足な知識の探究ができるわけがない。稼ぎもそうとう悪いので、とうとう図書館利用に踏み切った。

 図書館は積年の恨みのように、高すぎてあきらめて買えずにいた高額な単行本がいくらでも読める。現代思想の単行本を読んでいるときは、高くても単行本を清水の舞台から飛び降りる気持ちで、五千円とかの高いお金も払っていたものだ。そういう本が、図書館ではいくらでも無料だ。歴史書関連の高いハードカバーは、図書館で読むべきものだろう。

 図書館は古い本が多いので、新刊や話題書にはついていけないだろう。ヒット作は図書館にあっても、貸し出し予約が何か月も先まで埋まっていて、まずは読めない。

 わたしみたいに新刊なんてぜんぜんこだわらず、古い古典書のほうを読みたい者には、図書館は宝の山だ。わたしはだいたいは、自分の疑問やテーマの沿った読書をするので、新旧なんかぜんぜんこだわらず、むしろ古い古典のほうがありがたい。そのテーマに合った本がどれだけたくさんあるかが重要だ。新刊書店なら、そのテーマの本がとぎれることがあり、また高すぎて買えずにテーマを終わらせることも多々あった。図書館では、テーマ関連本は無尽蔵に近いほどありそうだ。

 じつは高い本を買うかの判断も自分の価値観を如実にあらわすもので、是が非でも手に入れたい本はハードカバーでも買おうとする。あまり価値がないと思うと、文庫や新書から上の高額な価格には手を出そうとは思わないものだ。

 大学生のころは新潮文庫で海外や日本の文学をたくさん読んだが、現代日本の小説はハードカバーで読もうとは思えなかった。三年後に文庫になるのを待った。ただアメリカのポストモダン文学だけは、ハードカバーで買った。自分がどれだけそれに価値を賭けられるかということも、本の値段はあらわす。文庫や新書で買うか、ハードカバーでも買うかということは、自分がどれだけそれに価値を賭けられるのかというホンネもあらわすのだと思う。

 現代思想や社会学の高価なハードカバーを買っていたときも、文庫がなかったということもあるが、それを買うだけの価値があると判断していたわけだ。現代日本の小説は、ハードカバーで買おうとも思えなかった。

 しだいに稼ぎが悪くなり、わたしは古本ばかりで買うようになり、しまいには文庫や新書の古本ばかり狙うようになった。これはある意味、本や知識にたいする価値観のホンネをあらわしていたのかもしれない。本にそこまでの金を賭ける価値がないという価値下落を、体現していたのかもしれない。労働のあまりにキツイ対価にたいして、知識の価値も、私の中で落ちていたのかもしれない。

 だけど古本ばかり漁って、それもブックオフの一般書しか読めなくなると、さすがに満足な読書がぜんぜんできなくなる。専門的な本も読みたいけど、労働のキツイ対価を贖うものとしての高額な本にも手を出せない。そういうジレンマを解消するところに、図書館があったのだと思う。図書館にこんなに抵抗があった理由が、もう思い出せないが。

 図書館はやはり区の図書館ではぜんぜん専門書がなくて、市の中央図書館のように蔵書数が多い図書館でないと、話にならない。だから一時間もかけて、中央図書館にいく。大阪市では、府立と市立があって、いずれも190万点ある。(「全国の図書館 蔵書数ランキング」) ほんと中央図書館しか使い物にならない。

 図書館は、新刊書店とかなり様相を異にする。だいたいは古い本の蔵書になっていて、新進代謝はかなり悪く、新刊書店や新しい話題書はまずあきらめたほうがいいかもしれない。古くて、古典的な位置づけの本は確保されているほうなのだろう。

 なにより単行本主義であるから、安い稼ぎしかなかったわたしには、高くてあきらめていた単行本が山のように読める。これはかなり大きなことで、稼ぎが落ちるごとに文庫や新書だけに低落していったわたしには、垂涎の光景である。それも無料、こんなに気軽に高価本が手に入るなんて、僥倖でしかない。しかし、なんでここまで図書館に抵抗があったのだろう。

 これまでの積年の恨みを果たすように、高価な単行本が山のように読めて、わたしのこれまでのムダな年数を思うのだが、取り戻す楽しみはある。まあ、図書館にない単行本もあるわけで、図書館が新刊書店の代用をすべて果たすとは思えない。新刊書店で読みたいと思っていても、図書館ではないということも多くあるし、図書館が新刊書店の新陳代謝に追いついて、新刊書店並みの回転率を誇るようには、とても思えない。

 単行本の渇望を満たすものが、公共図書館であったとは、これまでのわたしの不覚である。

 ほかの人が図書館をどのように活用しているのかまったく知らないので、ちょっと自分の頭を整理するつもりで書いてみたが、長年図書館を利用している人は、新刊書店とどのように組み合わせているのだろうか。もちろん新刊でほしいときは、書店を利用するというかたちになっているのだろうが。図書館の無料にあまりにも慣れすぎると、書店の新刊情報にうとくなる。無料で本がいくらでも読めるのだから、お金を出して本を買うのがもったいないとなる。しまいに新刊情報がまったく入ってこなくなりそうだ。うまい組み合わせをつくってゆく必要があるのだろう。

 図書館と似たサービスとしてアマゾンのアンリミテッドがあり、月千円くらいの会員価格でKindle本が無際限に読める。月数千円の書籍代を突破する人は完全にモトがとれるサービスである。ただし新刊や話題書は読めないらしく、図書館の古い本の蔵書にいくらか近づくのかもしれない。本の電子書籍化もまだ全般に広がっているわけではない。図書館に勝っているのだろうか。

 ちなみに図書館で借りた本は赤線も引けないし、感銘をうけた文章も残せないが、わたしはクリアースキャナーというスマホのアプリで、残したい文章を写真状に残している。貸し出しは、手元に残せない不満がのこるが、このスキャナーは重要部分をのこしてくれるので、だいぶ補えている。


図書館「超」活用術 最高の「知的空間」で、本物の思考力を身につける図書館徹底活用術文庫 ヘッセの読書術 (草思社文庫)<問い>の読書術 (朝日新書)本を読む本 (講談社学術文庫)


08 17
2018

読書

Kindleセルフ出版のわたしのつくり方とぶち当たった壁

 Kindleセルフ出版のわたしのつくり方ケースと困難、ぶちあたった壁などをしるしておきます。

 kindleセルフ・パブリッシングのつくり方は、ネットで調べれば、さまざまな情報がわかるようになっていて、わたしはそのつど課題になった出来事を検索するようにした。ただ数年前と事情がちがっていることも多々あり、現在はもっと簡易になっていることが多い。

 アマゾンのKDPに登録する際、アメリカに税の書類を提出しなければならないというおそろしい情報もあったが、いまはアマゾン内で登録できるようになっている。できるだけ最新の情報にふれるほうがいいですね。

 一連の流れとして、テキスト・ファイルで本文をつくり、でんでんコンバーターで電子書籍のePub形式に直し、Kindleプレヴューアーでチェックし、そこでmobi形式に変換できるようになっている。登録画面でePubでアップできるようになっていたから、もしかしてmobi形式に直さなくてもよかったのかもしれない。


テキスト作成はVertical editorをつかった


 テキスト・ソフトはほんとにどれでもいい。Note padやメモ帳でも軽くていいという人もいるから、一太郎やwordにこだわる必要はないのかもしれない。Tera padがいいという人も多くいたが、これはプログラミングのソフトですよね。

 わたしは原稿用紙形式で、縦書き、章立てもできるVertical Editorのほうが気分が文豪みたいでいいと使ったが、あとでePub形式に直すと、段下げがぜんぶ失敗していて、すべて手作業で直さなければならなかった。もう使わないかもしれない。装飾系はぜんぶでんでんコンバーターがやってくれる。見出しとか太字とか、引用分の指示だけが必要なわけだが。

 Vertical Editorは原稿用紙の大きさだから、一文字の慎重さがちがう。テキストソフトの小さな文字だと一文字の慎重さが欠けるようになるとわたしは思うのだが、些末なこだわりかもしれない。


でんでんコンバーター大活躍


 電子書籍はePub形式が主流のようなので、それに変換してくれるでんでんコンバーターがおおいに役に立った。テキストファイルを投入すると、すぐにePub形式に変換してくれて、チェックと訂正をなんどもして、数限りなくアップしなおすという作業がはてしなくつづいた。

 でんでんコンバーターは、見出しやページ割り、太字などをマークダウンで指定するというかんたんな方法で、ePub形式に直してくれる。見出しは「#」の数で6段階指定できる。ただKindleで表示されるとき、#を四つ重ねてもほとんどふつうの文字と変わらなかったので、三つに変えたら見栄えがよくなった。

 節のタイトルを太文字で表示したかったのだが、Kindleでは太字に変わらなかったので、やむなく見出し#三つにした。Kinoppyでは太字表示されるのに、Kindleでは残念だったが、見出し表示のほうが行間が空いていて、よかったかもしれない。太字指定は「**」だ。

 引用文指定は「>]だけでかんたんだが、引用文中の行間開けには苦労した。行間を開けるには、「br」を「p」要素で囲めばOKだが(ソースコード表示は避けました)、引用文途中ではあいだが開きすぎる。ネットで検索してもなかなか見つからず、ようやく全角スペースひとつで行間を開けられることを発見した。

 PCでは紀伊國屋書店のKinoppyでePubを読むことができるから、このソフトには重宝した。誤字脱字、まちがいには、大きな文字表示でわかりやすかった。

 KindleはPCでは開けないと思うが、KindleプレビューアというPCでチェックできるソフトがある(いまはPC用のKindleが出ていますね)。タブレット、スマホ、Kindle端末の表示ができるようになっている。そこでmobi形式に変換してくれるから、インポートでダウンロードすればいい。いぜんはほかのソフトで変換していた情報もあったが。

 訂正や修正は完成したと思ってePubに変換しても、またレイアウト崩れや誤字脱字が見つかるというはてしないくり返しがつづいて、さいごのさいごに完全完成したと思ってmobiに変換しても、漢字変換を忘れるというまちがいが見つかって、切りがないほどだった。いくらでも見つかるものなので、これは数限りなくくりかえすしかない。


KDP登録はあんがいかんたんだった


 わたしはアマゾンのアフィリエイト・アカウントをもっているのだが、KDP(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)に登録したときはもう一度、銀行情報を登録しなければならなかった。古い情報ではアメリカの税金をとられないために書類を申告しなければならないというおそろしい情報もあったが、いまでは登録画面において選択するだけになっている。

 KDP画面では、本の詳細と本のコンテンツ、価格設定の項目があるが、できれば本のデータをアップに成功してから詳細を書きたかった。レーベルとか出版社も決められるようだが、思いつかなくて放置。

 本のロイヤリティとか価格設定はむずかしいと思うが、35%と70%の著作料が選べるようになっていて、わたしは70%のほうを選んだ。Kindle90日独占契約のかわりに70%のロイヤリティがうけられるのが魅力だった。無料キャンペーンを五日間設定できるのもこちらだけ。まずは無料で読んでほしかった。そのさい、最低価格は250円という情報があったが、いまは99円になっているようだ。無名のKindleセルフ本はほぼ最低価格に張りつくような相場になっているらしいので、わたしは280円くらいにしようとインプレッションで決めた。

 審査待ちは48時間以内となっているが、ブログをまとめるかたちの本は、権利関係を問われるようだ。わたしの本は書きおろしなので、数時間で出版がされた。出版と同時に無料キャンペーンをはじめたかったのだが、出版後にそれができるようになるので、やむなく先に出版を選ぶしかなかった。


出版までの感慨


 アマゾンの本棚に自分の著作がならぶのは、感動と喜びがあった。どれくらい売れるかはわからないが、長い期間の準備期間をへたあとの成果なので、達成感は大きいものがある。

 本の執筆に三か月くらい、紙本では208ページを書くのにそれくらいの期間がかかり、校正や推敲、電子書籍化には四ヶ月くらいの時間をついやした。校正はなんども読み返すわけだが、できるだけ他人のような目をもつ必要があるわけで、原稿にふれない期間を設けたりした。

 推敲は、わたしは一度書いてしまえば、その文脈の中でもう一度考え直したり、文章をごそっと書き直したりするのは、かなり苦手なようで、手を加えるところは誤字脱字に終始したかもしれない。

 ePub化やその校正でだいぶ時間をとられるところもあるが、完成品を世に提出するわけで、このうむような作業もおろそかにするわけにはいかない。無限に訂正箇所が見つかるような気持ちにおそわれた。とくに段下げの失敗が全文におよんでいたので、それに気づき、直す作業がはてしなくつづいた。

 まあ、ePubのマークダウンの方法を知ってから、テキストを打ちはじめるのがいちばんかもしれない。テキスト・ソフトでの見栄えはあまり関係なく、ePub時の見栄えが最優先になる。


 本を出したい人、Kindleセルフ本の出版を考えている人は、テキスト・ソフトさえ打てれば、ほぼ問題ないといえる。ePub化はそうむずかしいものでもないし、日々改良されるでしょう。訴えたいテーマさえあれば、Kindleセルフ本の出版はすぐそこにあるのではないでしょうか。


08 05
2015

読書

本をどんどん捨てられる

 紙のゴミ出しの日に毎週、本を二、三十冊ずつ捨てています。これで四週ほどになります。

 本をどんどん捨てられる気がします。


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▲捨てた本の記憶用にデジカメで写真を撮っておきます。


 本を捨てるふんぎりがついたのは、失業生活が長引き、貯金が底をつき、実家に帰らざるを得なくなったときに、膨大な本の処分や手間がそうとうかかるだろうとリアルに想像できたからです。まとめて処分するなら、お金もかなりかかると思われました。

 失業生活のストレスからか軽いパニック障害になってしまい、もう働けないという悲観的な想像がリアルに迫ってきました。そういう中で大量の処分や移動に困る本は、あまりにも足手まといです。


 もう十年や二十年は捨てないでとっておいた本が大量にあります。

 赤線を多く引き、ほこりやたばこの色で変色し、汚くなった本はもう古本でも売ることができません。整理するには、捨てるしかないのです。

 人生の危機や終りを意識したとき、本を捨てるふんぎりがつきました。


 捨てられる本の基準はだいたい次のようなものに決めてみました。

 ・ クズ本
 ・ 読み返さないだろう本
 ・ 参考にすることはないだろう本

 クズ本と思われる本はまったく抵抗がありませんが、後者の二点はけっこう捨てる気持ちをふみとどめます。「いつか、するだろう」という思いが、ずっと本を捨てられなかった根拠の強いものです。

 でも「いつか、するだろう」はほとんど実現されることはありません。ほとんど読み返しもしないし、参考にすることもありませんでした。

 この二点があるから、本を捨てるのをためらってしまっています。だけど、そういう日はついに来なかったではないですか。


 順調に捨てられてきたのですが、やっぱり「いつか、するだろう」は捨てる気持ちを押しとどめますね。本を捨てて、すっきりする快楽も味わいたいのですが、押しとどめる気持ちも働きます。

 ぜんぶ捨ててすっきりしたい。せいせいしたい。

 もういっそ、古い本から順に捨てていこうか。


 ぎゃくに残しておく本の基準は。

 ・ 読み返すだろう本
 ・ 参考になるだろう本
 ・ 思い出の本
 ・ 好きで充足感を覚えた本

 感動したり、感銘したりした本はもちろん捨てられません。でもそういう本ですら、ページをめくることは少ないのだから、本棚の肥やしになってしまうことは否めません。

 じっさいに読み返したり、手にとることが多い本というのは、自己啓発や心理学のハウトゥや実用書であって、理論的な本はほとんど読み返すことはありません。そのときの知的欲求心を満足させれば、それでお仕舞いの本なのかもしれません。

 もう、ものすごく感銘した本だけ残して、その基準に達しなかった本はぜんぶ捨ててもいいかな。


 本というのは、はじめて読むときの新鮮な体験を買うのであって、保管や蓄積にお金を払うのではないと思いたいものです。

 レジャーや遊園地のように「体験」にお金を払うのであって、保管や所有にお金を払うのではないと割り切りたいです。一期一会、たった一度の体験だけにお金を払う、そう割り切れたらいいですね。


 本棚を空っぽにして、いま床に積み上げている本を本棚に入れられるようになりたいです。

 でも上記の基準で捨てていたら、はやばやと限界につきあたってきたようです。

 もっと基準を大きくとらないと、本を大量に捨てられないような気がします。

 この五年、十年に手にとらなかった、読み返さなかったという基準で捨てれば、ほとんどの本を捨てられるのではないかと思います。感銘した本ですら、その基準なら捨てることになってしまいます。感銘した本は強く心に刻まれているのはわかっているのですが、あんがい読み返しません。ここの葛藤にふんぎりはつきませんね。


 来週もどんどん本を捨てていくつもりですが、基準をもっと厳しくしないと捨てられる本のネタは尽きてしまいそうです。

 読み返さないで心に刻まれた本だから残しておきたい本ってなんなのでしょうね。


08 07
2014

読書

すべて無料。近デジ・ダウンロード本、わたしの読み方

 明治から昭和にかけての著作権切れの本がすべて無料に読める国会図書館の近代デジタル・ライブラリーの読書にハマっております。岩波文庫とか新潮文庫の古典本を読むようなもので、そういうジャンルや近代ものが好きな人には宝の山。青空文庫を超えているのではないかと思います。

 参考になればとわたしの読み方を紹介します。比較検討などまったくしていなくて、手近に見つけた方法なので、最適な方法ではないと思います。

 検索をかけるとたとえば夏目漱石の本もおおくを読めます。ただ印刷がつぶれて読めない本や古すぎるかな使い、字体などあって、そこをあきらめざるをえない場合があります。


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▲たとえば夏目漱石で検索をかけると286件の結果が出ます。


 本の「印刷する」ボタンを押すとダウンロードができるようになっています。ただPCではタブレットのようなどこからでも拡大することができず、近デジの読書のためには、Kindle、タブレットが必携にならざるをえないです。


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▲「印刷する」ボタンを押すとダウンロード。


 近デジは2ページ見開き1コマで写真のように撮られています。一時に20コマしかダウンロードできないので、すべてダウンロードするにはつづきを「21-40」、「41-60」とくりかえしていかなければなりません。間隔も30秒ほど開けないと、ダウンロードに失敗します。そのあいだにファイル整理アプリで、ファイル名をわかるように日本語タイトルに書き替えます。


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▲コマ番号指定に数字を入れてPDF作成を押したらダウンロード開始。


 リーダーはPDFリーダー・アプリを使います。無料アプリで読めます。わたしは赤線を手軽に引けるアプリとして、Foxit Mobile PDFを使っています。

 近デジは文字を読み込むのではなく、写真のJPEGのような形式らしいので、文字にしたがって赤線を引く機能が使えないようです。指では手書き線を正確に引けないので、わたしは100円ショップで買ったタッチペンを使っています。文字にそったきれいな線を引けないのは残念ですが、写真のような形式なのでしかたありません。

 見開き一画面でダウンロードされますが、1ページだけを画面めいっぱいに拡大して、なるべく文字が大きくなるようにして読んでいます。この画面いっぱいに拡大する方法はタブレットでしかおこなえず、随意の場所からの拡大はPCではムリですね。 

 右スライドで読んでいくと、2ページ目を読むとつぎに4ページ目が先にきます。3ページ目まで右スライドしなければならないのですが、不便に慣れるしかありません。


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▲リーダーに1ページを画面いっぱいにして読んでいきます。7インチKindleの実寸大。


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▲赤線ラインは手書き感いっぱいですが、ふつうの紙本読書も手書き赤ラインなのでほぼふつうの読書クオリティ。


 これで近デジ本の読書はできるようになります。どうですか、明治から昭和にかけての読書世界にハマってみては。無料本が山のようにありますので、古典本の探索には苦労することがありません。あとはどれだけ読むべき本、読みたい本を見つけられるかですね。


こちらの紹介記事など参考に。
無料で読める。国立国会図書館の民俗学、哲学書等を独断でリストアップ
【18禁】 「変態性欲」と「性欲生活」にのけぞる大正セクシュアリティ

これだけは読んでおきたい日本の名作文学案内日本の名著―近代の思想 (中公新書)大人のための日本の名著 必読書50ベストセラーのゆくえ―明治大正の流行小説日本近代文学の名作 (新潮文庫)


03 21
2014

読書

電子書籍をつくっています。

 いまさらながらでありますが、電子書籍をつくっています。

 いままでブログを書いていたこともあって、自分の本をつくりたいなという思いがあっても、表現欲や読者に読まれているという満足はある程度、得ることができていました。短文のブログやツイッターを書いているうちに、一冊の本を構想してまとめるなんて発想力も企画力もないとも思っていたのかもしれません。

 四月にまとまった時間をとれる機会ができましたので、ちょっと気軽に電子書籍をつくってみようかと検索すれば、パブーでブログ記事のインポートができて、かんたんに電子書籍をまとめることができると知って、やってみるとあれよこれよとできてしまったので、電子本の報告の見込みが立ったというしだいであります。

 みなさんもブログである程度の過去ログがたまっている人なら、エクスポートとインポートの機能を使ってかんたんにパブーで自分の電子書籍ができると思います。ツイッターですら本にまとめることもできるかもしれませんね。


▼パブーの管理画面
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 パブーはちょっとマイナーなサイトかもしれませんが、キンドルなどの外部ストアの公開や販売も可能らしいですしね(有料版になってしまうのかな)。横書きしかできないのは、かなり残念感。本なら縦書きで読みたいところですが。

 この画面でいちばんラクだったのが、ページの移動をドラッグ&ドロップでできること。章をつくれば、本らしくなります。

 ブログから電子書籍の移行で気をつけなければならないことは、電子書籍は「いま」という時間に語りかける媒体ではないということ。もう数ヶ月、数年あとにはじめて読むことになる読者を相手にすることになります。そういう時間性を消す作業が、電子書籍の移行に求められるのではないでしょうか。

                 *

 構想としてはまずはじめにブログの過去記事の中から、「労働論」についての本をまとめたいと思っています。

 電子本の有料か無料かは迷うところですが、読者が多くつくなら有料でも可能と思いますが、たくさんの人に読んでもらうことを第一に考えるなら無料の選択が妥当だと思われます。また無名の著者の文章にだれが喜んでお金を払ってくれるというのでしょうか。市場性があるのなら有料という選択肢もありえますが、まずは読んでもらうことから。

 つぎに「レイラインと死と再生」の世界観を一冊にまとめて、つぎに「思考を捨てる」というテーマでブログ記事を本にまとめたいと考えています。そのあとに厳選したエッセー集といったふうにブログ記事からのまとめ本を出したいと考えています。テーマでものを考えるという習慣をもってきたので、いくつかのテーマでまとめるという構想が思い浮かびます。

 ブログで公開しているのになぜ電子書籍にまとめる必要があるのかとなりますが、電子書籍はその本にじっくりと向き合って読み込む姿勢を約束するのであって、ブログのように最新の記事しか読まれない、ほかの情報のザッピングの中のひとつの記事としか読み飛ばさるわけではないという強みがあると思います。

 本づくりの楽しさを味わえたなら、書き下ろしの本もつくってゆくということになるかもしれません。

                  *

 PCで読めるリーダーにはかなり不満があって、紙に定着したインクのような文字で読みたいと思っているのですが、なかなかフリーのソフトではいいのが見つかりません。

 アドビのデジタル・エディションもキャリバーというリーダーソフトもネットの活字と同じで、ぜんぜん紙本の定着感がなくて残念で、読みたいとも思えないシロモノですね。

 いちばんいいのは青空文庫リーダーの「AIR草紙」で、縦書きに変更されて本格的な本感が増すのですが、10ページ以降は有料なので、フリーでいいものはないのか迷走中です。いいフリーソフトを教えてもらいたいです。


▼「AIR草紙」の体裁で本を読みたいです。
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 げんざいは「労働論」の本を鋭意、編集・校正中なので、期日は約束できませんが、いつかお披露目できると思います。

 表紙も自分でデザインすることができて、自分でつくったりしています。本をつくるという過程を楽しみたいと思っております。


▼自分でつくってみた「労働論」本の表紙。まだまだ試作段階ですね。
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2015年、年が明けてからの追記】 2015/1/30
 すいません。電子書籍の制作は完全にとどこおっております。読み返しての校正が苦痛すぎたこと、電子書籍を出す価値があるのかという疑念もおこって、手をつけられておりません。いつか一発奮起する機会があるかな(泣)。。



03 05
2013

読書

大阪の本屋・古本屋ならここをつかめ―難波・梅田・天神橋筋・天王寺篇

 いまはスマホがあればGoogle mapでかんたんに本屋検索ができますが、だいたい大づかみな概要を。むかしはめくらめっぽうに足でさがしていたんですよ。

 画像は切りとったもので、詳細を見ることはできません。Google mapのほうで。


■難波駅周辺の本屋

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 難波は難波CITYの旭屋書店と、千日前とJR難波のジュンク堂をつかんでいたら、大型書店には困りません。旭屋は通勤客の多い印象ですね。

 心斎橋のほうには大きな書店はあまりありませんね。


■難波駅周辺の古本屋

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 むかし南海球場の下に古本街があったのですが、はるかむかし。いまはさびれる一方の古書センターが残っています。

 古本屋はあまり充実しているとはいえませんね。天地書房は歴史書の高い本多し。古本のオギノがいい感じかな。府立体育館まえのブックオフでお茶をにごすしかありません。  


■梅田駅周辺の本屋

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 梅田は阪急駅に紀伊國屋書店の大きな書店がありますが、通勤客に便利なためいつも超満員。北側のほうにいけば阪急古書のまちがあって充実しています。大阪駅ビルに古本屋が何軒かあったと思うのですが、さいきんどうなっているのか未確認。

 西梅田にいけば、ヒルトンとアバンザのビルにジュンク堂がありますね。ここをおさえておけば、大きな書店に困ることはありません。

 ジュンク堂ができる前は旭屋も大きな書店だったのですが、いまは改装中でしったけ。


■天神橋筋の古本屋

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 天神橋筋には古本屋が多くあります。天牛書店が暗くて渋い雰囲気でいい品ぞろえ。手前にあたらしく二店ほどできましたね。

 ブックオフ系統の古本屋もあって、専門書的な古本屋が多いというわけではないですが、何店か古本屋がそろっているのが天神橋筋の魅力ですね。もっとふえてほしいですね。


■天王寺駅・阿倍野駅周辺の本屋

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 天王寺駅にはアポロビルの喜久屋書店が便利ですね。専門書もすこしは充実していて、オープンな感じの店。天王寺Mioの旭屋書店はファッションビルにあるため敬遠しがち。

 ユーゴー書店はもうつぶれてしまったのですかね。古本屋はもう二軒くらいしかないのですかね。ジュンク堂がぜひできてほしいところです。

02 24
2013

読書

無料で読める。国立国会図書館の民俗学、哲学書等を独断でリストアップ

 国立国会図書館で明治・大正に出された本が公開されていますね。柳田國男や吉川英治など著作権の切れた作家が無料で読めるようになりました。「近代デジタルライブラリー

 どんな本が出されているのかとか、探す手間を省くためにわたしの独断でえらんだ本をリストアップ。

 古典的な本がお金をはらわなくても無料で読めるぜ。だけれど! 

 明治・大正に出された本はとうぜん旧かな使いとか古い文体なのでひじょうに読みにくいです。またわたしはPCで本を長時間読む体験になれていないのでどう読めばいいのかもよくわかりません。タブレット要かも。「フルスクリーン表示」で「幅合わせ表示」で読みやすくなるかな。

 岩波文庫で古典本を買えない貧乏な人はチャレンジしてみてはいかがでしょうか。こういうむかしに発売された本を明治・大正の人はどのような気持ちで対峙して読んでいたのか思うだけだけでも感慨深いものがありますね。古書でしか手に入らない本を探していた人には宝の山でしょうね。



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 『愛欲三千年史』 中山太郎 1935、昭和10年

 性風俗の引用で読みたくなった中山太郎ですが、いまは出版されていません。古本屋ではぼろぼろ本で八千円とかして萎えました。ここで読める。


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 『日本婚姻史』 中山太郎 1928年

 中山太郎は夜這いを記述した赤松啓介くらいの評価はできるのでしょうか。


 『日本若者史』 中山太郎 1930年、昭和5年

 柳田が避けた性や差別をとりあげた民俗学者はどのような目線で若者を見たのでしょうか。


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 『妹の力』 柳田國男 1942年、昭和17年

 柳田國男は死後50年の著作権切れで著作が読めますね。


 『遠野物語』 柳田國男 1910年、明治43年

 現行の刊行物とかぶるわけですが、やっぱり旧かな使いとか古い漢字とかひじょうに読みにくいですね。


 『一目小僧その他』 柳田國男 1934年、昭和9年


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 『明治大正史 第一巻』 柳田國男 1930-31年

 げんざい講談社学術文庫で読める本ですね。


 『山の人生』 柳田國男 1926年 大正15年


 『桃太郎の誕生』 柳田國男 1942年、昭和17年


 柳田國男はほかにもたくさん著作が読めますので、検索してみてください。


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 『古代研究. 第1部 第1 民俗學篇』 1929年

 折口信夫は読んでみようかなと思っていましたが、ここで読める。


 「風俗習慣・民俗学・民族学」のカテゴリはこちらになりますので、好きな著作をさがしてみてください。


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 『欧州風俗大観』 山口誠太郎 編 1926年 大正15

 写真が多く、大正の人が欧州をどう見ていたのかという目線で見れますね。


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 『近代の恋愛観』 厨川白村 1922年 大正11年

 大正にベストセラーになり、一大恋愛論が巻き起こったそうですね。菅野聡美の『消費される恋愛論』で知りました。


 『一夫一婦か自由恋愛か』 倉田百三 1926年 大正15年

 大正の人も考えることはいっしょ。というか進歩していない?


 『北村透谷集』 1947年 昭和22年

 北村透谷は「厭世詩家と女性」で恋愛や純潔の至上価値をうちあげました。「精神VS肉欲」のはじまりですね。



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 『意志と現識としての世界 前編1』 ショーペンハウエル 1949年 昭和23年

 このショーペンハウアーの主著を終戦直後に読んだ人はどう思ったのでしょうね。


 『エピクテータス語録』 1923年 大正12年

 大正の人はエピクテトスをどう受けとめたのでしょうか。


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 『言論思想の自由』 ミル 1914年 大正3年

 J・S・ミルの『自由論』ですね。わたしも感銘をおおいにうけた本です。


 『象徴形式の哲学 第1』 カッシラア 1941年 昭和16年

 カッシーラのこの本は岩波文庫で読めますね。


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 『処世哲学』 アルツール・ショーペンハウエル 1920年 大正9年

 『幸福について』というタイトルでげんざいも出されているショーペンハウアーの処世術ですね。


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 『時間と自由意志 附物質と記憶』 ベルグソン 1925年 大正14年

 ベルグソンの本はけっこう出ていたのですね。


 『創造的進化』 アンリ・ベルグソン 1913年 大正2年


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 『ニイチエ全集. 第7編権力への意志』 1925年 大正13年

 ニーチェは全集としてすべて読めるようですね。大正の人はどう読んだのでしょうね。


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 『ニイチエ全集. 第6編 (善悪の彼岸・道徳系譜学)』 1923年 大正12年

 ニーチェの入門書はこの本をすすめますね。無料で読めるなんてすばらしい。ただ大正時代のかな・漢字を読めればですけど。


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 『方法 省察 原理』 デカルト 1919年 大正8年

 デカルトの『方法序説』『省察』『哲学原理』が読めておトク。ただし(上記と同じ)


 『笑の研究』 ベルグソン 大正8年 1914年


 「西洋哲学

 こちらのほうで西洋哲学の一覧が見れます。カント、アウグスティヌス、スペンサー、プラトン、アリストテレス、いくらでも。


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 『荘子 現代語訳』 大正12年 1923年

 現代語訳で『荘子』が読めますね。ただし大正12年の現代。


 『新訳老子講話』 大正15年 1926年

 『老子』の講話。


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 『妖怪学』 井上円了 1931年 昭和6年

 たまに名前を聞く井上円了。妖怪学の権威だったのでしょうね。こんにちでは小松和彦かな。


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 『色情表徴』 ハヴェロック・エリス  1922年 大正11年

 ハヴェロック・エリスは復刻版かなにかで見かけたかも。


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 『基督に倣ひて』 トマス・ア・ケンピス 1920年 大正9年

 わたしの大好きなケンピスの『キリストにならいて』が読める。


 
 『此の最後の者にも』ラスキン 1924年 大正13年


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 『資本論 第一巻』 マルクス 1926年 大正14年

 当時大きな影響を与えたのでしょうね、マルクス。


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 『貧乏物語』 河上肇 1917年 大正6年

 当時の人にとっては生々しいリアルだったのでしょうね。


 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 マックス・ウェーバー 1938年


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 『西洋の没落. 第1卷 形態と實在』 スペングラー 1926年 大正15年

 スペングラー? 『西洋の没落』は読みたくて読みそびれていた本。ここで読めるか?


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 『歴史とは何ぞや』 ベルンハイム 1922年

 岩波文庫で読めた本ですね。


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 『種の起原の基礎』 チャールズ・ダーウイン 1915年 大正4年

 ダーウィンの本もとうぜん読めますね。


 「写真の中の明治・大正 関西編

 「写真の中の明治・大正 東京編

 明治・大正の風景・経済産業・娯楽のカテゴリーから写真を見れます。関西編と東京編



07 05
2010

読書

ナゾを解くから学問はおもしろい

 わたしは20歳ころまでまったく本を読まない人間で、勉強もできなかったが、いまで学術本や学者の本ばかり読む学問好きの人間になった。どうしてこうなったかというとナゾかけと読書を結びつけたからだ。

 「なんでだろう」「どうしてだろう」という気もちをいつまでもとどめて、その答えを本に求める。するとおカタクて、読めそうに思えない学術書でも読めるようになる。疑問やナゾに思う気持ちをもって読んでいくと本というものは読めるものである。頭のよしあしではない。たんなる興味の強度の問題である。

 本を読まなくなった人は学問を覚えるものとして思い込んでしまったのだろう。だれか学校の教師とかどこかのエライさんがこれを覚えろと学問や知識を押しつける。興味も関心もちっともない無味乾燥な知識を押しつけられる。興味というスポンジがない上にいくら知識を植えこもうとしても根づくことはない。腹が減っていないのにむりやり押しつけられた食べ物は見るのもうんざりだ。

 学問をこういうものと覚えこんでしまうことは残念だ。学問というのはミステリーであり、宝探しであり、未知への冒険である。娯楽であり、道楽であり、趣味であるとわたしは思っている。それが読めるようになるのは頭がいいことや才能があるからということではない。たんなる疑問と関心の持続の問題である。

 「教えられる学問」というのは生徒の興味や関心から発せられるものではない。文部省や教師のカリキュラムに従って教えられる。勉強というのはそのエライさんたちがこれを食えといってむりやり食わされる好物でもない食べ物である。勉強というのは他人事の知識を押しつけられる行為である。サービス者の嗜好や好みによって押しつけられる知識である。

 生徒はそれを消費することによって、学問はますます他人事となり、たんなる暗記のための記号となり、自分と関係のないキーワードとなる。せっかく学んだ知識はだれかによって覚えろといわれた記号の消費にすぎなくなる。人生の知識となりえた知識は他人事の、よそよそしい記号となり、人生の役に立つ言葉にもなりえない。自分の必要や必然がまったくない知識は自分のものとならない蚊帳の外の知識となる。

 当事者になることほど知識の吸収力に必要な条件はないと思うのだが、勉強にはこのいちばん大切な初歩的な条件がはじめから欠如している。沼地や湿地に橋や土台が建てられないように学校で習う勉強はほとんどが湿地の上に学問を立てるようなものなのだ。

 暗記の知識というのは完成品を店で買ってくるのに似ている。疑問やナゾに思う気持ちは自分で部品を買ってきて組み立てる過程に近い。図面だけ見るのと、じっさいに組み立てる体験はおおいに違う。組み立てることによってわからないことや納得しないことが山ほど出てくる。さらに知識を学んで違う部品を選んだりすることは学問と似ている。完成品を消費するだけでは身につかない知識や問題解決への必要とかが生まれてくるのである。完成品はそれ以上の追求がおこなわれないのである。

 本を読まないとか学問に興味のない人が多いのは完成品の消費とナゾに思う気持ちからの学問の道順を知らないからだろう。学校の勉強はふたつの障壁を人に教えるのだ。世の中の学問・知識は完成しているということと、学問とは興味のない知識を覚えることだと思ってしまうのである。

 だから世の中の知識は未完成品だらけであり、ナゾやわからことを追求するのが学問だと思うようになると学問のおもしろさはわかると思う。完成品などなにひとつないのがこの世界である。あるいは自分にとって世界は知らないこと、わからないことだらけだと前提にすることが学問の道だと思う。自分のナゾや疑問に思うことをどこまでも手放さないで、学問書によって追求することが学問を楽しくする方法だと思う。

 本を読まない読まないといわれるが、本を読まない人も趣味であったり、映画や音楽、スポーツなどをどこまでも深く追求したりしているものだ。どうして本ではそれをせずに趣味には深いエネルギーをそそぎこむのだろう。おもしろさや興味があるからだ。本や学問もそれらの趣味や道楽のひとつに違いないはずである。

 どうして学問や本だけは違ってしまったのか。娯楽や趣味の楽しさを奪ってしまったからだろう。そういう趣味や娯楽の楽しむ方法を本に適用したらそれを楽しめるというものである。本や学問は学校という強制システムができたために趣味や道楽を奪われてしまったのだろうというしかない。



4488006884脱学校の社会 (現代社会科学叢書)
イヴァン・イリイチ
東京創元社 1977-10-20

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06 16
2010

読書

電子ブックによって自費出版がかんたんになる



 iPadが発売されていろいろ騒がしいが、わたしはまだまだ買う気はない。まず48800円もの大金がないというのがいちばん。それにまだまだ新刊のすべてが出揃っているわけではないだろう。書店めぐりの楽しさも捨てられない。駅前の本屋は絶滅したが。紙本のように場所がかさばらない良さははやくほしい。

 電子ブック端末なんてただの読書ツールにすぎないから一万円とか五千円ほどに下がったら買うかもしれない。iPadってノートブックとなにが違うのかという問いに戻されそうだ。通信費って無料なのか。やっぱりプロバイダ料がかかって、パソコンネットと別途必要なのだろうか。

 電子ブックのインパクトで忘れてならないのは個人がかんたんに出版できるようになるということだ。いままで個人出版といえば高い金だけ貢がせて本屋にも並ばないというイメージもあったが、電子出版ならほぼブログなみの準備だけで出版できるようになる。元手がほとんどかからずに電子ストアに本を並べることができるのだ。

 ブログをそのまま電子ブックに移行することもかんたんだ。fc2ブログでは出版サービスというのがあって、ブログを紙出版するために出来ばえを見せるサービスがあるが、製本にする前の段階でもう出版できるわけだ。

 なんなら電子ストアでブログを売るという方法もあるだろう。著名人なら電子ストアでブログを開設すれば即収入が得られる。芸能人ブログなんて電子ストアにみな移行したほうがいいかもしれない。

 マンガなら同人誌とかも電子ストアにすぐ並べることができるだろう。アマチュアマンガ家や小説家をめざしている人もすぐに本を売ることができるだろう。出版社にもちこむとか新人賞に投稿するだとか、大掛かりな印刷・製本・流通のしくみがいっさい不要になるのだから、出版の敷居はいっきょに下がる。ブログの開設なみに電子出版はかんたんになるだろう。しろうとやアマチュアはすぐに出版界に本をのせることができるのだ。電子ブック革命とはそういう意味なのだ。

 ただしだれもがかんたんに出版できるからといって、ブログと同様にだれの本でも読まれるというわけではない。多くのブログはたくさんの読者もつかずに注目される人気ブログと歴然とした差がつけられる。ほとんど読者がつかないブログのようにだれも読まない本もたくさん出版されるかもしれない。

 重要になってくるのが商品としろうとレベルかを判別するしくみである。ジャンク本ばかりストアに並ぶのならストアも信用をなくすだろうし、読者も混乱の極みに立たされる。商品レベルかそうでないかの判別機能が切に求められるようになるのだろう。

 あるいは紙出版の敷居のままに電子出版も移行するのだろうか。紙出版の商業レベルのままに電子ストアは門戸は閉ざされるのだろうか。出版界が売れる本と売れない本を判別して本を出版したように、その厳しい選別機能は電子ストアでも残されるのだろうか。本の在庫などしょうしょうのデータ量を占めるにすぎないのだから決壊はおこりそうな気がするが。まあアマチュアが参入できやすいとしても、プロとアマの差は歴然とついてくるものなのだろうが。

 電子ブックは書店や取次ぎ卸などに恐れられているが、出版社もそうだろう。著名人なら出版社をとおさずにじかにストアに売ったほうが儲けのとりぶんが多くなる。なにも出版社にお金を払う必要はない。ミュージシャンなんかもレーベルをとおさずにじかにストアで配信しはじめている人もいるが、出版界でもとうぜんおこるだろう。

 出版社の役割とはなにかと問われることになる。出版社は売れる本や著者を判別したり、編集や印刷製本の指示をしたり、著者や本を読者にプロモートしたり、書店に営業していたりした。印刷、製本、流通の機能がごっそり必要なくなる。あとはプロモートであったり、判別の機能が重要になるのだろう。広告代理店や出版の代理店、あるいは芸能プロダクションに近いものになるのだろう。たぬきちさんの出版社の早期退職ブログが話題になったが、出版社は大きなスリムアップが必要になった未来にそなえているのだろう。

 ラジオやテレビがあらわれたとき、新聞や本はなくなるといわれたそうだが、新聞も本もなくなることはなかった。電波としてのメディアと紙流通のメディアはすみ分けがおこなわれた。電波は一方的だったし、新聞や本は自分のオンデマンドで読書が可能だったし、もちはこびもかんたんだった。電波メディアは本のような深い思索やひとつの長いテーマに没頭することを可能にもしなかった。電波の都合ばかり優先されて、こちらの都合が優先されることはなかった。本は長文の思索に適した最強のメディアだった。長所や欠点をおぎなうかたちでそれぞれのメディアは共存がおこなわれてきたのだ。

 電子ブックと紙本の共存、すみ分けはおこなわれるのだろうか。電子ブックによって本のモバイル性が奪われたのは痛いだろう。物量がかさばらなく、書棚も書庫もいらなくなった利点は紙本にとって大きな打撃だろう。自分が読んできた本をすべて持ち運びできるというのは革命的である。紙本で読んできた人はどれだけ本を捨てなければならなかったか、積み重ねた本のために見つけられない本や文章がどんなにあったことか。紙本の利点、メリットはなにが残るのだろう。

 電子ブックというのはデータや実体のない情報にしかすぎなくなる。電子ブックにとってこれは意外な欠点かもしれない。われわれは物体やモノとしての手ざわり、携帯性に愛着を抱くものだ。愛蔵版だ。電子ブックでは実体や手ざわりのあるものとして姿をずっとあらわさない。この欠点が効いてきそうに思う。

 わたしたちは実体のないデータに利便性を感じるだろうが、さいごには手ざわりのある、がっしりとした重みのある本に愛着や利便性もどこかに感じることだろう。手元に物体として残しておきたい本は愛蔵版として、紙の本としてのこってゆくかもしれない。データと物体のふたつの方向性ですみ分けはおこなわれてゆくのかもしれないな。


電子出版の流れ
 出版社を通さずiPadに電子書籍 作家の瀬名さんら  asahi.com(朝日新聞社)
 「本を書いてみませんか?」――ブログ感覚で電子書籍を作成・販売 ペパボ「パブー」 - ITmedia News

04 29
2010

読書

四天王寺の古本祭は5月2日までやっています



 ゴールデン・ウィークになるとやっている恒例の四天王寺の古本祭は5月2日(日)までやっています。大阪の方、大阪にこられた方は寄ってみてはいかがでしょうか。あと三日です。2010年は4月27日(火)からでした。

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 この古本祭はいつもアクセス解析で知らされます。検索ワードでこのブログにやってくる人がいて、その結果でわたくしが教えてもらうというしだいです。けっこう人の検索は参考になりますね。わたしは検索ワードをあまり思いつけるタイプではないんですが。

 わたしはさいきん新刊依存になっていますから、なかなか古い本にほしい本を見つけることができません。むかしは古典とか古い本に学びたい時期があったのですが、いまは新しい情報にしか価値がないように思えてしまっています。ビジネス情報的に本の価値を考えるようになっているわけですね。古い情報に価値がみとめられない。時代の価値に古びない古典本を読めるようになりたいですね。

 けっこう年配の方が多かったですね。年をとるとむかしの情報のほうが価値が上がるのでしょうか。

 こういう一般の古本屋はブックオフに押されたり、ネットの古本に追われて、どんどん商戦が細っていると思います。ブックオフの百円本で手に入れて高く売る「せどり」も繁盛していますしね。わたしも押入れに眠っていたアラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』がアマゾンで2万5千円で売られているのを見て、思わずせどりをしたくなりました。絶版本ってそんなに価値が高いものですかね。アマゾンでは値がつりあげられますが、街の古本屋で見つけると通常の古本価格なんですが。

 わたしはつぎの2冊を買いました。画像がないな。民俗学的な本が買いたくなったかな。オーソン・ウェルズの『パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫)をさがしていたんですが見つかりませんでした。いまはビジネス・スキル本を読んで勉強しようかな~、でも深い思索を楽しめないしなと葛藤中です。


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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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