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02 29
2004

日常

私の大阪展望と好きな書店


 私はずっと大阪に住んでいる。ほかの町に住んだことがないので大阪のいいところも悪いところもあまり客観視できない。

 ほかの土地の人がいだく大阪のイメージにはかなり違和感をもっている。庶民的だとかせっかちだとか商売人だとか、漫才師みたいだとか、ほんとうかなと思う。どこにいってもそういう人はいるだろうし、そうでない人もいるから、ひとくくりにできるわけがない。

 大阪弁をしゃべるからかなりガラが悪いように聞こえるだろうけど、仕事ではほとんど敬語を使うのであまり標準語と変わりはないと思う。でもイントネーションはかなり違うんだろうけど、大阪からめったに出ないのでわからない。

 私はJRの阪和線ぞいに住んでいて、この電車は天王寺と和歌山をむすぶローカルな線で、並行する私鉄の南海電車よりイナカっぽいイメージがあると思う。天王寺のホームもほかの駅のホームもどことなく暗く、近代的な感じがしないし、私鉄の駅のようにショッピング・モールもない。あいかわらず商業化しない国鉄のままなのだろう。

 大きな書店は天王寺にいくつかあるので私はそこの書店で目を輝かせて新刊やほしい本を物色する。アポロビルの本屋がいちばん好きで専門書をゆっくり閲覧できるし、新刊文庫もずらりと並んでいて好きだ。天王寺Mioの旭屋はファッションビルの8階にあるために縁遠くなるし、中央のレジにすべての本棚が丸見えで、だからじっくり本を選べない。ユーゴー書店は専門書の階はゆっくり選べるが、地下の文庫、新書の階はなんだか雰囲気が閉鎖的で店員にすぐに顔をおぼえられそうなので足が遠のく。

 天王寺は和歌山からのJR阪和線と奈良や河内長野からの近鉄線の終点となる駅だけど、あまり商業的な繁栄をしている街ではない。でも四つ辻の陸橋があるためストリート・ミュージシャンが多くたむろしている。私はむかしそこで海ガメの子どもを買ったことがある。

 天王寺は聖徳太子のたてた四天王寺があり、そちらの通りはさびれている。北上すると寺がいくつも固まっているが、あまり観光されるような寺ではないらしい。ふしぎなことにラブ・ホテル街がちかくにあり、聖と俗がなぜ共存しているのかと首をかしげたくなるが、おそらく寺向けの宿屋がラブ・ホテルに変貌したのだろう。

 いまの私は本屋で街を図式化する習慣がついていて、たいそうな歓楽街ミナミ(難波)も私にとっては書店のありかでしかない。ブックオフが二店あり、なんばCITYに旭屋があり、千日前にメガ書店のジュンク堂があり、古本屋が南海線ぞいにあり、千日前あたりに二軒、日本橋に一、二軒あるのを回ったりしている。

 ブックオフはあいかわらず店員のかけ声がうるさい。ここは八百屋かと腹がたつ。なぜ本屋なのにじっくり本を選ぶ権利を妨害するのか。古本の安さときれいさとミュージックは捨てがたいけど。なんばCITYの旭屋はなんだか展望がききすぎて、専門書もいまいちだし、きれいな女性はたくさんいるかもしれないけど、暇つぶし程度にしか寄らない。ジュンク堂は専門書が超そろっており、目が回りそうになるが、ここの品揃えはものすごく頼りになる。ただ千日前という駅から遠い、歓楽街を通らなければならないのはちょっとネックだ。

 私にとって歓楽街のミナミはさみしい街だ。だれひとりとして知り合いにも出会わないし、ほかの人たちだけが楽しそうにしているところである。孤独をひしひしと感じるところである。

 学生のときはファッションの街であり、アメリカ村やヨーロッパ村、鰻谷、なんばCITYなどによく出かけた。また映画館がある街でもあった。居酒屋やディスコのある街でもあり、また子どものときは南海線ぞいに住んでいたから終点難波の先にはなにがひろがっているかわからない地の果てでもあり、大きくなってからは乗り換えの駅になった。

 ミナミがこんなに繁栄したのはなぜなんだろう。南海線、近鉄線、御堂筋線、千日前線、があつまるところだろうか。環状線からは離れているのに。道頓堀といえば、芝居小屋があったりしてむかしから繁栄していたところである。大阪のパワーや人びとが凝縮しているところである。

 大阪のイメージといえば通天閣や新世界もあるのだろうけど、ここは浮浪者やホームレス、日雇い労働者の住む西成とつながっているとんでもない町である。なんでこんな大阪の恥部のような町が大阪のイメージとなるのかとフシギになるが、たしかにこの町はキミョーキテレツな人たちがいたりして、ほかの郊外化、サラリーマン化した町や人々からは味わえないエキゾチックさは味わえる。

 でもここを南下して西成の町にふみいれば、日雇い労働者の治外法権のような別世界になる。昼間から寝ていたり、酒をのんでいたり、人々が無目的にたむろしていたり、フツーでない人たちがたくさんいる。日本にはこういうところがあり、日本にはありえないと思われるまぎれもない現実のすがたがここにある。西成は日本ではないのか、それとも日本のほんとうのすがたなのか。

 御堂筋や本町、北浜といったところは大阪のビジネス街、オフィスビルの中心である。働いていたこともあったが、いまはあまり縁もない。高層ビルばかりで関係のない者にはほんとうに関係のない町である。堺筋本町あたりのオフィス街では昼飯の席をとるのにずいぶん苦労したものだ。大阪の商売といえば船場だが、私も卸の店などで何回か働いたが、けっこう人なつっこい町で私もたいそう楽しませてもらったが、女性が多いのがよかったが、卸の将来はあまりよいものではないのだろう。

 キタ、梅田は私にとってはミナミでほとんど用事はすんでしまうのであまり縁のない街であるが、すこしは憧憬の街でもある。梅田は阪急が出ていたり、神戸や京都との電車が何本も走っており、大阪は北のほうが発達しているから、南大阪に住んでいる私にとってはばくぜんとうらやましさを感じていた。

 キタはそういえば大阪駅の前には阪急や阪神などの百貨店がならび、商店街は一本あるだけであり、ミナミのような庶民的なあつまりやパワーがなく、駅前ビルなどの都市計画的な街である。大型資本がつくったような街なのだろう。阪急は百貨店や宝塚、芦屋などの住宅街をつくったりして、うらやましい電車でもある。

 梅田の本屋といえば阪急駅に紀伊國屋があり、ここは巨大なフロアであるけれどもものすごく人がこんでいて目的の書棚にたどりつくのがなみたいていではない。この前は待ち合わせのメッカになっている。カッパ横丁に古本屋街があり、また駅前第三ビルにも古本屋街があり、たまには私も利用する。旭屋はジュンク堂ができる前まではかなりの品揃えをほこっていたと思うが、いまはジュンク堂にはくらべものにもならない。堂島にジュンク堂があり、ほんのたまに行くことがある。キタにはほかにも本屋がたくさんあるが、まあべつに寄り道ていどに寄る本屋である。

 大阪城はバイトをさぼったり、失業中などによく昼寝したりした。いまはホームレスの青テントにおおいつくされている。ちかくに官公庁の街があったり、高層ビルが立ったりしている。京橋は京阪や学研都市線などが出ており、歓楽街がひろがっているのだけど、私にはつかみどころのない街である。天神橋は日本一長い商店街があるのだけど、古本屋もいくつかあるのだが、おしゃれでもないし、あまり庶民的ともいえない中途半端な感じがする。

 私はいま住吉という住吉大社と高級住宅地の帝塚山がある町に住んでいる。大和川が近いのが私にはうれしいだけである。大和川を上流や下流にサイクリングしたりして、町にはない広い展望を楽しめのが気に入っている。大和川なら空が大きく見えるし、二上山や葛城山も見えるし、堤防からのながめがすばらしいところもあるし、水の流れや光の反射をもとてもきれいだし、自然の変化を楽しめるのはとてもいい。

 堺にも自転車で足をのばすこともある。郊外型の大型古本屋がいくつかあるからだ。仁徳天皇陵のある大仙公園は野原の緑がすばらしく、昼寝していたら天国かと思うほど気持ちいいときがある。大泉緑地もまあいい。堺という町は歴史の教科書にのるほど栄華をきわめた時代もあったのだろうが、いまはただのふつうの町である。堺東がいちばん繁華街なのだろうけど、底が浅い。歴史を感じさせる町でもあまりないのだろう。

 私は前から大阪の北のほうに住んでみたかったが、ハイキング好きになった私は山のほうに住んでみたいという気持ちも強くなったけど、通勤便利な地から遠ざかるのも困ったものである。大きな本屋が近くになければ困るし、でもショッピングが楽しい街に近いほうがいいいうわけではない。いつか引っ越したいと思いながらいまの地に住んでもう15年ちかくにもなる。好きでも嫌いでもない。


10 10
2004

日常

一日乗り放題きっぷで鳥取まで。


 きょうはJR西日本の一日乗り放題きっぷで鳥取のほうまでいってきました。3千円です。

 CIMG000711.jpg 山陰の山あいの田んぼが美しい。

 出雲大社までいこうと思っていたのですが、大阪から快速が見つからず、普通ばかりで、しかも終点までが短い。のりかえは福知山、城崎、浜坂、鳥取とこれだけで半日をついやしました。くたくたです。

 四人掛けシートでは家族にはさまれ、きゅうくつな思いをし、ロングシートでは景色が見えず(日本海の景色はきれいでしたがあまり見えず)、文庫本が古代史関係を二冊も読めただけです。

 帰りは智頭、津山、岡山と中国地方を南に降りて、播州赤穂とまたまた普通をのりつぎ、姫路からようやく快速で大阪まで帰ってきました。

 田舎のほうにいくと普通ばかりで快速が走ってないことをはじめて知りました。特急なんかハナから乗る気はありませんから、不便極まりないです。JRも特急指定席なんかやめたらいいのにと思います。

 乗り放題きっぷは距離をかせごうとしたらぜんぜんその土地をたのしむことができなくなりますから、近場をたのしむ必要があるのではないかと思いました。電車に乗ってるだけで景色もたのしめないようでは意味もありません。この一日はなんだったんでしょうかという気持ちで終わりました。鉄道マニアの方なら多くの路線を乗れるだけでたのしいんでしょうが。




 ■スパイウェアに感染されまくっています。ブラウザ類を開くたびにポップアップが開いたり、スタートページを侵略されまくっています。駆除ソフトを組み込んだのですが、それが仇となって駆除と確認の表示が出まくっています。どーしたらいいんでしょうね。とほほ。(その後、ウィルスソフトを組み込んだり、WINDOWSをいじったりして、なんとか解決しました。)

04 03
2005

日常

TVキャプチャーボードをつけました。


    capture1.jpg

 狭い部屋にパソコンとTVのモニターがふたつ並ぶというヘンな状況を解消したくて、TVキャプチャーボードをつけた。

 キャプチャーボードはたくさんあるので迷ったが、とりあえず見えればいいということとリモコンがあるということで、バッファローの九千円くらいのものを買った。

 画像はやはりあまりきれいではないが、パソコンでTVが見えるのがとりあえずはうれしい。それと私はビデオをもっていなかったので、活用の幅がひろがりそうで楽しみである。

 しかし録画の音が出ない状況にぶちあたって、ヘルプやネットで探し回ったのだが解決しない。画面にあるプレーヤーの音量のつまみをあげればいいだけのことであった。どこにもそんな解決法は書かれていなかったぞ。

 それとCPUがずっと100%使われ、パソコンが遅いという状況がつづいて、TVのせいかなと思っていたらウィルスに感染しているみたいだ。tcpsvcs.exeというファイルがCPUを100%ずっと占領している。ウィルスバスターでは気づかれず、タスク・マネージャーだけで終了させることができるが、すぐ復活している。なんなのだろうな。

 ビデオにはスナップショットの機能がついていて、気に入った画像をたくさんコピーしそうだが、このネット上に公開するのは著作権にひっかかるのだろうな。よいものを見つければ人に見せたくなるもの、自分のHPに貼りつけたくなるものだが、あくまでも引用か参照程度のコピーにとどまるべきなんだろう。

 パソコンでTVが見られるというのは、ほんとうに静かであるパソコンを見違えるものにする。ネットもTVもこのパソコンで見られるとなったら、このパソコンを使うことがやたら多くなる。活用の幅が変わりそうである。


07 17
2005

日常

大阪府立中央図書館にいってきた。


 ■きのうは東大阪市にある大阪府立中央図書館にいってきた。近代的で豪華な建物で、空間もかなり広々としている。資料もかなり揃っている。府立中之島図書館みたいに狭くない。

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 それにしても地下鉄中央線と近鉄の二倍料金がむかつく。もよりの荒本駅に行くには、中央線と近鉄の初乗り料金を払わなければならないのである。サギみたいな気分である。

 荒本駅付近にはカルフールというたしかフランス資本のショッピング・ビルがあって、郊外のだらけた雰囲気がただよっていた。人気はあるみたいだったけど。エスカレーターが階段型ではなくて、スロープ型だったのは驚き。ショッピング・カートのまま上れるのである。おおお、倒れる~。で、もう撤退

07 18
2005

日常

「ベルリンの至宝展」をみてきた。


 ■まあ、いちおう紹介しておきますが、神戸市立博物館でやっている「ベルリンの至宝展」をみてきた。人がかなりいっぱいいたので、じっくり鑑賞できなかった。10月10日までやっています。

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 私の印象としては、ヨーロッパを崇拝する人がまだまだたくさんいるんだなと思った。美術を愛好するという価値は私にはよくわからない。ボッティチェリの『ヴィーナス』やマネの『温室』を見られたのはいいことだったのか。私としては古代エジプトの石の図版やメソポタミアの黒いウル像?が見られて感動だった。

 私はヨーロッパの「泥棒」博物館として見たかったのだけど、この展示品のどれだけがヨーロッパの強権的権力を背景に奪われたものなのだろうか。

 いちばん感動したのは空いていた常設展にあった杉田玄白の『解体新書』の初版が見られたことだった。洋学はここからはじまったのである。

 私としては国立民族学博物館のほうが想像力がふくらんで好きである。世界の民族のさまざまなものが集められている。昼過ぎからでは全部は回れないほどじっくり見てしまう。万博跡には太陽の塔がまだ立っている。

08 20
2005

日常

カメを捕りにいった夏休み


 kusagame1.jpg クサガメ (webで拝借)

 小学校のころの夏休みはよくカメを捕りにいった。コンクリートで囲まれた用水路を歩いていたらカメを見つけることができたのである。カメは好きだった。あののん気でのろまな風情を見ているととても愛らしく感じられた。

 私が育った町は大阪郊外の新興住宅と田んぼがせめぎ合うような境界だった。小学校のまわりにはまだまだ田んぼが広がり、幹線道路が遺跡発掘のために中断されていたり、雑草地やお化け屋敷のような古い屋敷がのこっているというようなところだった。そのようなところでも昭和40~50年代の子どもたちは身近なところにたくさんの生き物の営みを見つけることができたのである。

 用水路を歩くというのはいっしゅの冒険のようなものだった。電車の下を通ったり、真っ暗なトンネルを抜けたり、堰止めた水かさが増したり、地上の道路からは見れない町並みを見たり、終点という用水路のはじまりの池を見つけたりと、未知の世界を探検する楽しみがあった。

 用水路の水かさはたいてい足元程度しかなく、石や草陰にふつうにカメは転がっていたりしたので、かんたんに捕まえることができた。どんなところに潜んでいるのか、どのあたりで見つけることができるのか、というわくわく感は宝探しみたいなものだった。

 用水路に転がっているカメはとうぜん大きく成長したものが多く、20センチくらいはあった。ほとんどはクサガメで、黒っぽくて茶色い色をしていて、独特のカメのにおいがあって、そういうにおいのするところにはカメがいそうな気がした。イシガメという黄色くて甲羅のうしろがぎざぎざになっているカメはめったに見つけられなくて、いつも探していた羨望のカメだったのだが、おそらく一、二匹をのぞいてほとんど伝説のまま終わった。

 たしかクサガメは韓国からもってきた外来種で、イシガメが日本しか生息しない在来種で、私は韓国の生き物のほうにより愛着を感じていたのだった。ミドリガメは巨大化したやつを何匹かみつけたが、たぶんあまり愛着がわかずに家にもちかえることは少なかったように思う。夜店で売っている小さなミドリガメはとうぜんかわいいのだが、巨大化したミドリガメはどうもかわいくはなかった。

 家にもちかえると、バスのユニットに十匹くらい飼っていた。いつもいつも首をのばして上に必死にはいのぼろうと、駆けずりつづけていた。パンなどをあげていたと思うが、あの食べ物を見つけてじっと注視し、かぶりつき、爪ではじく独特の食べ方はずいぶんかわいいものだった。

 カマキリもよく捕まえにいった。といってもカマキリが成長するのは夏休みではなくて、9月、10月だけど。近くにはきりん草のたくさん生えた雑草地があり、多くを見つけたものである。大きければ大きいほど、うれしかった。

 カマキリの目は大きなレンズのなかに一点黒い点があり、近くで見るとじっと人間の私を見ている気がした。バッタをむりやり食べさせているときなんか、それでも私を注視しているように思えた。いつでもこっちに目を据えているように思われた。カマキリにとって巨大な人間はどのように見えるのだろうかと思ったものである。

 オオカマキリ以外の種類はあまり知らなかった。秋が終わりのころ草の幹に卵が植えつけられていて、丸くて大きなものと、チューブのようなものの二種類をよく見つけた。中を割ると、みかんとそっくりの実のようものがつまっており、しばらくはみかんが気持ち悪く感じられた。虫かごに産みつけた卵から一度子どもがたくさん生まれたことがあり、押入れはカマキリの子だらけになったことがある。

 ザリガニはするめをつけて釣ったり、あるいはザリガニ自身の腹部をつけてエサにしたり、またはザリガニは独特の穴を掘っていたりするので腕をつっこんでひきづり出したりした。田んぼや池にはもう赤いアメリカザリガニしかおらず、ほかの在来種を見つけることはほぼ皆無だった。ツメが大きかったり、図体の大きいやつを見つけることが楽しみだった。

 ひじょうによい思い出である。生き物を捕まえにいくというのはたいへんにわくわくして、うきうきしたものである。そういう気持ちというのは年をへるごとにしたがって、失われていった気がする。あのころの世界に対する神秘さや好奇心はもう味わえないのだという気がする。


09 13
2005

日常

自転車通勤の光と影


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 この三年ほど、自転車通勤で会社に通っていたけど、バイクにのりかえようかなと思っている。片道約8km、40分の道のりは疲れているときはさすがにしんどい。

 自転車通勤はものすごく気楽である。自転車で通える距離に会社があるのである。通勤時間は大幅に節約できるし、すしづめの満員電車に押し込まれることもない。電車で職場の人に出会う気まずさもない。

 ふつう大阪郊外に住んでおれば、通勤時間は一、二時間はあたりまえの世界だろう。私はそこまでしていきたい会社をもう見つけることはなくなった。ほとんどパート主婦の近所の職場と同じ感覚である。

 さわやかに晴れている日は自転車通勤はとてもここちよい。川べりのジョギング・コースを川と空と風を感じながら、すいすいとこいでゆくことができる。距離の苦痛もそんなに感じることはない。

 ただ雨の日と冬の日々は最悪である。雨はカッパを着ていても中に浸透してくるし、冬の寒さはまるで氷の海を泳いでいるような厳しさである。でもやっぱり電車に乗ることを考えれば、自転車の気楽さは手放しがたいのである。

 電車というのはゆいいつの公共空間だと思う。世間のいろいろな人に出会うから、世間とつながっているという気持ちを味わうことができるし、私の場合は読書と、帰りに本屋に寄る楽しみがあった。たまたま、いまはかなり迂回しなければならない電車より、自転車のほうが早いから、自転車で通うことになったのである。読書と本屋の楽しみはなくなったけど、家には早く帰れるようになった。

 ただ仕事で疲れているときはさすがにペダルが重い。原付はスクーターは格好悪いと思うが、ふつうのオートバイ・タイプならまあまあいいかなと思う。といっても私は原付免許すらもっていないのである。試験の勉強をしようと思っても、なかなか本を読む気が起こらないし、頭に入らない。

 おまけに50ccのオートバイって小っこいのだな。ほかのオートバイと比べたらかなり見劣りする。商品というのはそうやって序列をつくって人に高いモノを買わせようとするのである。またオートバイの世界とピープルって独特だと思う。なんだか「オレたちはカッコいいんだぜ」、「ワルなんだぜ」みたいな雰囲気の世界に入るのもいやだな~。

 しかし私の夢は通勤のほかにキャンプ・ツーリングがある。大自然の中で気が向いたところにキャンプを張って、いろいろなところを走り回ってみたいのである。ネットで見ていたりしたら、「たまらないー」と思ってしまう。はやくバイクに乗れるようにがんばりたいと思う。

 必ず受かる原付免許のとり方
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頭に入らない!


10 04
2005

日常

38歳の原付免許


 原付免許はとれたのだが、ちょっとだけユーウツ。原付免許って高校生のためのものなのか。試験と講習をうけていたのはほとんど高校生っぽい若者ばかりだった。38歳の私は場違いな気もちを抑圧しつつ、試験と講習をうけてきた。私は年齢より、いまの自分の必要を重視するから、どうもこういうことになってしまうようだ。

 自分の中では高校生はそんな遠くの話ではないように思えるのだが、私は彼らのひとまわり多く生きているのである。へたすれば、私の子どもの年齢であってもおかしくない。私から見れば、高校生はきゃしゃに見える。結婚していない私は、二十代以降の時間の速さに茫然とするしかないのである。

 浦島太郎ってこの年齢の過ぎ方をいっていたのだとあらためて「発見」したしだいである。この年になって浦島太郎の気持ちがあっさりとわかったのである。

 原付試験は落ちるのは恥だといわれているが、私は問題集をやっているときはたいへん難しいと感じた。一冊まるまる問題集をやっても、一回しか合格点(9割)に達しなかったのだ。私って本はよく読むけど、てんで頭ワルイと思った。ていうか、学生のときからベンキョーは得意じゃなかった。

 とっぴなことをいうけど、原付試験の問題は20世紀言語学の祖「ソシュール」の思想だと思った。言葉のように差異や違いをもとめるのである。ある対象はこれとこれとどう違うのか、言葉はそれによって成り立つ。どう違うのかを際立たせるのが言葉であり、また原付の問題集であると思った。交差点の駐車禁止は5mか、10mか、その違いを答えなければならないわけだが、その違いがあるからこそ、言葉は成り立つのである。原付免許は「言語学」であると私はひとり悦に入った。

 物事を理解するとき、これとあれはどう違うのかとはふつう思わない。原付免許にかぎらず、テストはこれとあれはどう違うのかを問う。「洗濯機は時計ではないか、カバンではないか」、テストはそのようなことを問い、言葉もそうやって成り立っている。ふつう物事を理解するときにはわざわざこれとあれはどう違うのかを考えたりしない。言葉では無意識にやっている根本的な作業を、テストは垣間見せるわけである。似たものを排除して、はじめて事物は言語づけられるのである。じつはこの「排除」という言葉の作用が、人間の多くの問題をうみだしていると思えるのだけど。

 問題集を二巡目するところからようやく合格点に達するようになり、難しい問題が出たら一発でアウトだと思っていたのだが、じっさいの試験問題はチョーカンタンなものばかりだった。拍子抜けした。問題集が難しすぎたのだ。ていうか、なんだろう。。知らない問題ばかり出ているように思えて面喰ったのである。参考書と問題集の目のつけるところは違うから、参考書を問題集のように読めなかったのだろう。

 試験問題を見るまで原付試験ってものすごく難しいと思ったのだが、みんななぜカンタンだというのかと絶望しかかったが、試験問題はレベルはかなり低い。それでも落ちる人は3人ほどいたから、ある程度は勉強しなければ受かるレベルではないと思う。

 なんだか原付はやっぱり高校生の乗り物だという気がして、気持ちが萎えてしまったが、どうしようかな~、やっぱりバイクは買おうか。スクーターはぜったいに好きではないから除外。YAMAHAのYB-1 FOURしかないかなと思っている。MAGNA50はさいしょ気に入ったけど、小っこすぎるし、ああいうカッコつけはいやだ。

 バイク・ショップめぐりにはげみたいと思う。でもなんかバイク・ショップってスーパーみたいにドライな量販店がないし、べたべたした八百屋レベルに近いし、公道デビューはコワイなぁ。。 野宿ツーリングの夢を果たせるようがんばろう。

 yb-1_main1.jpg YAMAHAのYB-1 FOUR

10 09
2005

日常

バイク屋めぐりはもういいです。


 50ccバイクを買うためにバイク屋をたくさんめぐろうと思ったのだけど、どこもかしこもハイエナみたいな店員ばかりでいやになった。

 私はスーパーやコンビニみたいに店員に干渉されずにじっくり比較検討して選びたかったのだけど、バイク屋の店員はそんなことは許してくれない。一歩店先に足を踏みいれたとたん、集中攻撃である。一軒だけならそういう店もあるかなで我慢できるんだが、どこの店にいっても判を押したように同じ接客態度だ。なんかスーパー以前の小売形態に逆行したみたいな気分だ。

 できるだけ大きな量販店を探そうと思って、ここ大阪にある松屋町筋のバイク通りにいってみたのだが、どこの店もハイエナみたいな店員ばかりで、へきえきした。いかに目当てのバイクを目で探しつつ、店を素通りできるか、がんばるしかなかった。

 こういう喰いつくような接客態度は阿倍野の靴屋で体験した覚えがある。いかにも「売らんかな」という姿勢にいっぺんにその店で買う気をなくした。しばらくしてその店はつぶれていた。だからバイク屋もキビシい状況にあるのかなと思った。それも多くの店がそういう態度なのである。

 私は店員からあれこれ指図を受ける店はきらいだ。あんたに教えてもらわなくても自分の好みで選ぶといいたくなるし、雑誌やカタログで検討するほうがよほどためになる。私は選択する迷いや知識を検討する時間のほうを楽しみたいのだ。これを「プロセス消費」というそうだが、「売らんかな」という姿勢の店は、この楽しみをブチ壊してくれるのである。

 松屋町のとなりの日本橋の電気街もけっこうべとべとまとわりつく店が多いが、バイク屋とくらべるとこっちの店員はいかにもふつうの店員だけど、バイク屋はちがう。なんかヤンキーっぽいニーチャンがムリして商売してますという感じなのだ。小心な私はそれだけで怖じ気づいてしまう。ライダーたちの独特のカルチャーに違和感をひしひしと感じてしまったのである。ネクタイを締めた店員がのほうが安心すると思うけど、それじゃあ、ライダーたちがぎゃくにそっぽを向きそうである。

 東大阪にある大きな店に行っても同じような接客態度だったので、もう比較検討の楽しみをあきらめることにした。早く買ってしまおうという気になった。YAMAHAのYB-1にだいたいは決めていたのだが、ほかのバイクに触手を動かすのをやめた。バイク屋ってこのままでやっていけるのかな~っていらない心配をしてしまったよ、ホント。大型店のレッドバロンにもいってみたが、ここはあっさりしたところで拍子抜けしたが、ぎゃくに冷たいと感じるのは自分勝手?

 きょうは「Goo Bike」で目をつけていた店で買うことにした。もう「走れば、なんだっていいや」という心構えにした。タンク部分にキズがかなり多くついていたから塗装してもらうことと、シートが薄っぺらいやつだったので換えてもらうことにした。あとはべつに問題はないだろう。しめて13万円。

 来週とりにいくことになったが、家まで5㎞はあるからどうやって帰ろーかといまから戦々恐々である。ミッション車だからアクセルとブレーキをうまく使えるかすらアヤシイ。やっぱりクラッチの操作がどうも感覚をつかみにくそうだ。できるだけ大きな道は使いたくない。まあ、それまでしっかりと頭で操作方法をシミュレーションしておこう。

 2019_yb11.jpg グリーンのYB-1を購入。

10 16
2005

日常

信号待ちでオール・エンスト。


 きょうは購入した原付のミッション・バイクをとりにいったのだが、ほとほと疲れ果てた。目がばりばりに乾いた。

 ミッション車だからお店の人が親切にレクチャーしてくれたのだが、家まで帰るさい、信号待ちの再発進で、ほぼすべてエンストした。エンジンをかけたあとのクラッチはうまくつながったのだが、一度とまって再発進しようとするとまったくエンジンがかからない。

 うしろに車がとまるのが恐くなった。とまったらひたすら歩道によけて、先に行くようにうながした。そして、エンストである。ギアが悪いのかとニュートラルにいちいち戻してみたりした。車が多い大きな道はできるだけ避けて、細い路地を必死に探しながら、ほうほうのていで帰ってきた。バスで2、30分で行けるところを2時間くらいかけて帰ってきた。

 家に着くとさっそくインターネットで検索した。バイク選びにはほんとうにネットにお世話になった。免許の試験場から、車種選び、その車種のインプレッション、はじめてのバイクの経験や失敗談――ネットはこれがなかったらてんで集まらない情報を私たちに見せてくれる、改めて役に立つメディアだと思った。従来の友達や知人だけの話ではバイクのことなんて、なんにもわからなかったことだろう。

 ただ、バイク選びのさい、中古車情報誌の一覧性には負けているなと思った。雑誌はぱらぱらとページを見わたせるが、ネットはいちいちクリックがめんどくさいところがある。それにしてもバイクの初心者向け運転テクニックの本や雑誌はなぜ見当たらないのだろう。いまの出版状況では免許をとったり、バイクは選べても、公道が走れないではないか。

 ▼参考になったサイト
 I'm Rider (Turn on the igunition)
 bike.gif
 プロバイク・ライディング・テクニックのページ
 安全運転講座

 なぜエンストするのかと調べたら、どうやらクラッチがうまくつながっていなかったようである。「女性のためのバイクとLove Loveになる方法/第四章 上手な発進、上手な停止」でよくわかった。アクセルを回転しつづけなかったから、クラッチにつながらなかったのである。アクセルが閉じてしまったら、クラッチにつながらない。この方法をためしてみたらウソのようにエンストしなくなった。ネットと作者の方に感謝です。

 ただ、憂鬱な感触はのこったなぁ。公道やうしろから迫る車が恐ろしくなった。うしろの車まで気が回らず、大丈夫かなと思った。「やっかいな恐ろしい乗り物を買ってしまったなぁ」、という感慨がないわけではない。

 あらためて自転車の安全さを思ったしだいである。自転車なら歩道をわがもの顔で疾走できるし、うしろの自転車に気がねすることもない。まだしばらくは自転車で通勤するほうが安全なようである。

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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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