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02 06
2011

日常

基金訓練を受けていました

 kikinkunren_20110207074509.jpg
 photoshopではなくてGIMPで作成。稚拙。

 この三ヶ月ほど基金訓練を受けていた。基金訓練というのは雇用保険を受けられない人のために民間のスクールなどの授業が無料で受けられる制度である。生活支援金も月に単身10万、家族ありなら12万円もらえる。

 いまフリーペーパーの求人誌を見ているとこの「緊急人材育成支援」の募集でうまっている。この機会に勉強やスキルアップしたいという人は検討されてはいかがでしょうか。

 緊急人材育成・就職支援基金事業

 パソコンやIT,介護、福祉、電気設備など多彩な講座を検討できる。わたしはホームページやブログをつくってきたこともあってwebデザインの講座を受けた。面接やかんたんなテストもあり、再就職の意志をアピールしないと支援金めあてと見なされ、落とされるかもしれない。わたしは集団面接で数問質疑をうけた。怒りっぽいかとか全員に聞いていた。社会人相手では学級崩壊が恐ろしいだろう。かんたんなテストでわたしは初歩的な算数がぼろぼろだった。

 わたしの受けたスクールは30名で、年齢層は中高年から二十代と幅ひろく、男6割女4割程度だった。講師は人数によって補佐役を合わせて二名いた。社会人になってからの狭い空間におおぜいが集められる授業空間は不慣れなためか、脱落者も5,6名は出た。出席は8割をこえないと給付金を受けられないとか厳しくもなっているので、ラクはできないようになっている。

 わたしはwebデザインの講座を受けたのだが、3ヶ月の短期間であり、ほぼソフトの使い方を習って実習するだけの講義に終わった感がある。ソフトの解説書をそのままなぞっただけの授業のようなものだった。ウェブサイトの中にはwebデザインのスクールはソフトの使い方より、広告や広告デザインができないとダメだと書かれていたが(「WebデザインDTPデザイナー100%正社員就職」)、そのとおりだと思うが、三ヶ月のこの短い期間ではソフトを習うことで精一杯だろう。道具の使い方を習っただけではその先の広告やデザインはまったくできない。三ヶ月で放り出されれば、とても再就職にも自分でサイトをつくることも自信がない。

 webデザインの講座だけあって、前職は映像関係とか印刷関係、プログラミングとか隣接の職歴をもった人が多かった。マンガを書いているという人も多かった。わたしはホームページをつくってきたが前職はまったく関係ない現場関係の仕事をしてきたので、再就職にはほど遠いという悪条件をひしひしと感じざるをえなかった。さいしょのときに自己紹介をひとりひとりしてゆくのは参った。でもさいしょのころの自己紹介はだれがだれか記憶が残らない。

 クラスはさいしょはずっと黙っていて、だんだんとなじみができてゆくという感じだった。3ヶ月目にはお気に入りの人が集まるということもおこってきた。わたしの考えでは仲良しグループができれば、なじめない人が来にくくなるのでできるだけ仲良しグループに固まらないほうがいいと思うのだが、女性の講師なんかは楽しく談笑する環境がいいと思っていたようで、私語がうるさいこともあった。教室は私語がないとつまらないと考える人と、勉強に集中したい人とのせめぎあいがおこるものだと思う。仲良しグループは勉強に集中したい人を排斥してゆくものと思うのだが、人のつながりはそんな配慮をなぎ倒してゆくものだ。

 さいしょはIllustratorやPhotoshop、Flashの授業をうけて、なかなかwebデザインの勉強をしているという感になれなかった。講義は全員で手順どおりに進んでゆくので、ついてこれない人、つまずく人にはたいへんだった。もちろん補佐役の講師がフォローしてくれるのだが、そのたびに全員が止まった。やはり中高年でつまづく人が多く、あるいはクラスをひっぱる年齢だったからだろうか。

 この三ヶ月の講義で再就職はむづかしいと思った。webデザインのソフトを矢継ぎ早に習ったが、手順どおりのソフトの使い方を習ってもてんで応用やほかの使い方ができない。習っても忘れてゆき、頭が混沌としてきてなにがなんだかわからなくなってくる。一度教えられたらすべて覚えていられるわけでもない。この状態で自分でサイトをつくりだす課題を与えられてもほぼつくれない気がしたし、つくってもとうてい再就職にかなう自信作がつくれるわけでもない。短期間の矢継ぎ早の詰め込みではとてもひとり立ちできない。学校で教えられることと、会社で仕事をする業務のあいだに越えがたい壁があると思った。

 ホームページをつくる人の中には自分のサイトをつくる人も多かったが、これは趣味の段階であって、商売は人様のサイトをつくってはじめてお金がもらえるものだ。自分の趣味のサイトをつくる人はそれで他人様がお金を払ってくれると思っているのだろうか。趣味の教室ではないのだから、ここで自分のサイトをつくるのは商売の基本を理解していない。

 基金訓練はwordやexcelのパソコンのスキルを習う基礎演習が多く、つぎのステップとして実践演習の課題を受けてさいごの職業訓練校を受けるような段階を考えられているようだ。基本的なパソコン・スキルを習っても、ありふれたスキルで再就職が容易になるというわけではないだろう。学校で習うことと、仕事で必要な素養というのはその先の使いこなすなかでの作業や工程にあるのだから、どこまでも中身にたどりつかないように思える。もっとも基礎のスキルをもっていない人にはゲタを上げる機会になるのはまちがいないが。

 webデザイン会社の再就職はむづかしいと思っている。ソフトを習っただけでキャッチコピーも広告デザインもできないソフトを目的に勘違いした人を企業が受けつけるようにも思われない。わたしは会社に教えてくださいと教えてくれる年齢でもない。自分でなにかを貢献できないととても受け入れてくれるとは思わない。だいたいwebデザイン会社はふつうに経験一年、三年とか高度な経歴を期待している。即戦力の期待にソフトを習っただけの生徒がねじこめるわけなどない。

 小さな規模のネットショップならもぐりこめるかもしれないと勘ぐったが、キャッチコピーや広告デザインができるわけでもない。そもそも自信のある作品をひとつもつくれない。訓練はあくまでもスキルをすこし上げるだけで、再就職はほど遠いと思わざるをえない。過去の職歴が近いものをもっておれば経験の棚上げで買われる可能性はあるかもしれないが、まったくの未経験者が歓迎されるとは思わない。夢を見ていただけの期間に終わるかもしれない。スクールに通っていた人たちがこの業界で再就職を果たせる人はかぎりなく少ないと思わざるをえない。

 基金訓練に通うことはまったくのムダとは思えない。ひごろのスキル不足で希望の職種に応募できないという人はすこしはゲタを上げられるし、社会人になってからの久々の学校は仕事のプレッシャーから解放されたつかの間の休息も与えてくれる。ただ現実は経験者や即戦力をもとめるという企業の高い壁はいくら学校で勉強しても補えるものではない。ミスマッチの距離はずっと埋められないものかもしれない。いくらいまの職種で仕事をしていてもすこしのスキルアップものぞめない職種にいる人は検討したほうがいいかもしれない。だけれど再就職がすぐ手前にあらわれるという甘い期待は抱けるものではないだろう。

 なお、アドビのグラフィックソフトはべらぼうに高いが、学校に通っているあいだにアカデミック版を買える。


高すぎて買えないアドビのお歴々。フォトショップのエレメンツが安いのだな。

B0042VJFMCAdobe Photoshop Elements 9 日本語版 Windows/Macintosh版
アドビシステムズ 2010-10-01

by G-Tools

B003F782P0Adobe Creative Suite 5 Design Standard Windows版
アドビシステムズ 2010-05-28

by G-Tools

B003F78390Adobe Illustrator CS5 Windows版
アドビシステムズ 2010-05-28

by G-Tools

B003F783DGAdobe Photoshop CS5 Windows版 (32/64bit)
アドビシステムズ 2010-05-28

by G-Tools

B003F7836SAdobe Flash Professional CS5 Windows版
アドビシステムズ 2010-05-28

by G-Tools

B003F78322Adobe Dreamweaver CS5 Windows版
アドビシステムズ 2010-05-28

by G-Tools


07 01
2007

日常

しばらく更新できないかもしれません。



 パソコンのマウスが動かなくなりました。左端に固まってしまって上下には動くのですが、左右には動かなくなりました。困ったものです。

 いまはミナミのネット喫茶から更新していますが、ひらがな入力ができなくて、チョー困ってます。

 なるべく早く復旧したいものですが、しばらく更新とコメントができないかもしれませんのでご了承ください。


追記】 杞憂でした。モニターがつぶれてしまったかな、もしかしてパソコン本体が。。どうしよう~と思わずパソコン・ショップを見て回りましたが、赤外線のマウスが故障しただけだったのようです。お騒がせしました。

06 17
2007

日常

あまり年齢感覚のない私。


 小中学校のとき、共通一次などのニュースで見る大学生ってなんてオッサンなんだと思っていた。自分がなってみると、オッサンという感じはなかった。なんも変わらないやという感覚であった。自分が年をとってみても、中身はちっとも変わらないのである。

 20代は社会に出たり、人生を決めたりする大事な年代だと思っていたが、あっという間に過ぎてしまった感がする。がむしゃらであっちこっちの壁にぶつかって、もがいていた年代という感がする。

 30代はなんか二十代の付録のように思えて、二十代よりはるかに月日が早く感じられた。

 いまの私はもうすこしで40歳になろうとしているが、40歳であるという自覚はかなり希薄である。年はとったと思わない。でも社会に出てもう20年近くたっており、大学を出てずっと住んできたマンションと街に20年近くも住んできたのだと思うと、月日の速さに驚くしかない。郷里の街の思い出や愛着と比べると、足元にもおよばない。

 20代で結婚したり、子どもをもった同学年はもう中学生や高校生の子どもに成長していてもおかしくないのだ。そう思うと感慨はひとしおである。

 この年齢感覚の希薄さはおそらく比較対照の人が少ないことからくるのだろう。家庭をもっておれば、子どもの年齢で自分が年をとったことを感じとれるだろうし、ひとつの会社でながく勤めておれば、つぎつぎと入ってくる新人の年齢とのへただりに自分の年齢との差を自覚せずにはいられないだろう。

 年齢というのは比較で感じるものかもしれない。そういえば子どものころ家族と住んでいるとみんなが寝静まった夜は真夜中という感じがしたものである。ひとり暮らしをはじめると、夜が遅いという感覚が希薄になった。時間の区切りやめりはりが弱くなった。時間というものも年齢と同じように他人が自覚させるものなのだろう。

 そういう比較対照がない私は自分の年齢感覚がずいぶん弱いのである。おかげで何歳までに何々をしなければならないとか、家庭やマイホームをもたなければならないというプレッシャーが希薄であり、そういう波に乗りおくれた感慨をたまに抱くこともある。

 ようやく子どもがかわいいという感覚もわかりだしてきた。小さな女の子がむしょうにかわいいと思うときがある。家庭とか子どもに食指を動かさなかった私だが、女の子のかわいさにはたまに胸が震わされるときがある。でもまあ、そういう気持ちはなるべくながく継続させないようにしているが。

 中学や高校のころ、自分がオトナに見えるのか子どもに見えるのかとまどっていた。40近くになるとかれらはずいぶん成長段階の子どもっぽさが残っているように見える。20代、30代のころは自分は若く見えるのかオッサンに見えるのかわからなかったが、いまの年齢から20代を見ると、若く頼りないように見える。細く、きゃしゃに見える。

 女性の見え方として私は年上の女性が女として見えない、「男でも女でもない」オバチャンという人種にしか見えなかったのだが、たまに女としての部分が見えるようになってヤバイと思うようになった。それにしても「男でも女でもない人種」という感覚はすごいと思うが、性対象と見ない分断が感覚としておこなわれているのだろう。

 子どもをもった女性がコドモに見えて驚かされるのはしょっちゅうである。母親は子供のころ不動だにしない存在に見えたものだが、彼女らは子供が大きくなった状態のまま子育てをしていたのだと思うと、過去にあった母親に対するいらだちをあたたかく見守れる気がするのである。

 年齢というのはおおくは「役割」によって感じとるものなのだろう。「父親」や「母親」、「上司」や「おじちゃん」、「おばちゃん」、そういったものが自分に年齢を感じさせる。年上の役割はいやがおうでも自分の年齢の高さを感じさせるものである。

 私の場合はほとんどそんな役割をもたなかったし、演じてもこなかった。だからそんな役割をおこうことが苦手であるし、年上であることの年齢感覚も希薄である。自分が何歳であり、どのような年齢役割をおこなわなければならないのかという感覚がずいぶん育っていない。役割や年齢感覚が抜け落ちた私は幸せなのか、不遇なのか。

40歳といえば、あと20年は働かなければならない年齢である。職業人生としてはあと半分、人生としてはあと3、40年ほどと考えてよいだろう。流されて生きてきて、時間をたいせつに生きてきたとはいえない私であるが、人生の残りが有限であるという感覚とともにこれからの人生を生きてゆくべきだと思う。以上。

 
04 08
2007

日常

『普通二輪免許これだけで絶対合格』 長 信一

普通二輪免許これだけで絶対合格―平成16年最新改正準拠
長 信一

普通二輪免許これだけで絶対合格―平成16年最新改正準拠


 原付のスピード違反で二回つかまり、免停になったとき、思わず原付なんか乗ってられっかと購入。

 原付は法定速度の30㎞なんか守られず、だれも守っていない。だいたい車がびゅんびゅん追い抜いてゆく道路で30㎞を維持するのは難しいことだし、車が追い越せない狭い道路で30㎞でとろとろ人の迷惑をかえりみず走る根性もない。30㎞では右折するために右車線に移るともできないのである。

 車の流れからいって30㎞では走れず、かといって警察にはつかまって罰金と点数をとられる。ダブル・ビンタ状態に原付はおかれているわけだが、このひどい状況を改善しようという声も上らない。なぜこの状況が放置されているのか理解に苦しむ。警察の罰金目当てとしか思いようがない。

 この本は写真入で解説されているからひじょうにわかりやすいし、きれいである。子どもだましのイラストがそえられてバカにされたような類書よりよほど体裁がいい。もし普通二輪をとるときにはこの写真をイメージして実践することができるだろう。

 しかし私はミッションの原付からのりはじめた。原付の問題集や参考書ではクラッチやギア・チェンジのくわしい説明がなされておらず、エンストばかりの大変な苦労をしなければならなかった。ミッションの原付からのりはじめる者にはこの普通二輪の参考書を読むほうがためになるのではないかと思う。

 原付の初心者講習をうけたとき、交通事故は三年目までがダントツに多いとデータで示されていた。たしかにそのとおりだと思う。交通事情がよくわからず、カンやとっさの判断が働きにくいし、慣れや落ち着きもそなわっていない。私も二度の転倒や雨の日のすべりやすさ、車の急な左折など危ない経験をしてようやく半年ちょっとくらいでバイクに慣れてきたなという感じがした。みなさんも気をつけましょう。

DVDで覚える普通2輪免許合格のポイント 大型二輪免許完全合格―合格サポート ライディング事始め 直前版 最新大型トレーラー(けん引)免許 上手に乗りたい人のバイクライディングマニュアル
by G-Tools
01 14
2007

日常

原付の免停と法定速度について


 CIMG000616.jpg ねずみ捕りの現場にてぱちり。座席がずらりと。

 去年12月にスピード違反でつかまった。大阪から滋賀の近江八幡にいく遠出の途中で、国道一号線のねずみ捕りにほかの車がぼろぼろつかまるのといっしょに一網打尽にされた。27キロオーバーで、12000円の罰金。

 去年の三月くらいにも21キロオーバーで白バイにつかまって初心者講習をうけ、6点を超えたので「行政処分の出頭通知」がきた。はじめての免停です。こんかいは期間を短縮させる講習は受けないつもりだ。お金がアホらしいし、もう原付という免許には愛想が尽きた。

 原付なんか30キロの法定速度を守れないのは当たり前のことである。30キロで走るのは車の迷惑と邪魔になることであり、路注の車をよけれないし、右車線の車の流れにも乗れないから右折もとうぜんできない。交通事情を知るにつれ、このアホらしい法定速度を守る気なんかなくした。原付であれ、車といっしょの道路を走るのだから速度制限は同じ速度にするべきである。

 なぜこの法定速度は変えられないのだろうか。ネットで調べても不明だが、時間が止まっているとしかいいようがない。それとやはり警察の罰金収入のウマみが大きいのだろう。原付はヤクザさんのカツアゲの最大のカモである。現今の交通事情を無視した交通法規にはそういう利権があるのだろう。

 速度制限はほんらいは交通事故を防いだり、安全のためであろう。私も原付のゆっくりしたスピードの安全性は魅力的であると思うが、車のスピードというのは速度制限をほどこしても守られるというものではない。自生的秩序というものがある。

 それをつかまえて罰金や免停の罰則を課すことは、けっきょくは怨恨や憎悪を生み、果てしない対立関係といたちごっこを生むだけであり、中高生のような禁止と規則の破壊を快楽と大人の仲間入りと見なす認識をつくりだすだけである。

 つまりは速度制限なんて意味のないものであり、あくまでも努力目標にすべきであり、罰則なんてたんなる公権力の金銭強奪にしかならないのである。とりしまる警察が怨まれるばかりである。注意だけならどんなに気持ちが和らぐことか。車道の安全秩序はドライバー自身たちにゆだねるべきである。罰則はあきらかな危険行為や暴走行為にとどめるべきである。

 速度制限や罰則は安全や正義という美名のもとおこなわれるが、金銭強奪の集団をつくりだしているだけであり、法定速度が守られることはまずない。法律や罰則は効果がない。交通法規はたんなる公権力の暴走や迷宮入りを生み出しているだけに思う。

 ただ交通の安全を守ることはほんとうに大切なことだと私も思う。年間一万人も死者を出している交通事故はぜひ防がなければならない。しかし速度制限や罰則は向かう方向が違ってしまうし、見えないところでは違反が当たり前にはびこるのである。安全は罰則であるより、車の性能自体に速度制限が設けられるべきなのかもしれない。

 交通罰則は街中をふつうに歩いていて、いきなり職務質問されたり、あらぬ嫌疑をかけられりすることと同じ不快感がある。交通法規という不自然な設定値を設けることにより、ヤクザに言いがかりや上納金を納めているような気になる。このような権力を乱用した交通法規は、市民のためというよりか、市民の敵や怨恨をつくりだしているだけのように思う。

 もう私は原付の免許とかかわりたくない。自動二輪をとるべきだと思う。といっても仕事がある人間に容易に教習所や試験に通えるわけでもない。自転車の自由と気楽な乗り物にもどったほうがいいのかもしれない。交通法規と罰則は小市民の自由と安楽を奪いとるだけである。原付に乗ってはじめて警察という存在がいかに不快なものなのかよくわかった。


12 27
2006

日常

原付バイクでどこまでいけるか 大阪篇


 去年10月にとった原付免許。齢38歳にしてのはじめてのモータリゼーションを味わって、うれしいので方々に行動範囲を広げました。地図にしてみるとこんな感じ。

 

 私は大阪市の住吉区に住んでいますが、日帰りを基準にすると滋賀県は近江八幡や大津市、奈良は月ヶ瀬村や曽爾高原、または吉野、和歌山は高野山や天川村、海南市、兵庫は三田市や三木市まで足がのばせました。これらの場所はじっさいにアホみたいに走りまくりました。

 地図は直線で引くという愚をおかしていますが、だいたい60キロくらいは走れるのでしょうか。暗くなる前に山を越えたいので、朝から出て4、5時間で折り返し地点に到達するわけです。昼からだと3時には折り返さなければなりません。40キロ平均で計算すると5時間で200キロは走れるはずですし、一時間で40キロ走れるはずなんですが、地図で見るとそんなに距離がのびていませんね。

 近江八幡でだいたい100キロなんですが、片道6時間、往復12時間かかってへろへろでした。しかも原付はたったの30キロ制限ですから、スピード違反で二度ほどつかまりました。何十キロもの距離を30キロで走るのはムリだって。狭い道をゆっくり走るのは車の迷惑だし、路注の車をよけたり右折するためには30キロで走るのはキケンのなにものでもありません。原付に乗っているとこの矛盾を強烈に味わされますね。

 バイクで走ってわかったのは、大阪の都会や平野はかなり広いものですが、どの方角も山岳地帯に囲まれているということですね。東にいくと生駒山地、金剛山地、南にいくと和泉山脈、北にいくと北摂の山々や六甲山地にぶちあたります。

 日本は山の国だということがいまさらながらよくわかりましたね。山々の風景を楽しむのは爽快なものがありますが、山道やいなか道は通過点としか考えていない車が多く、風景をゆっくり楽しめないのが残念ですね。

 バイクは冬は寒いし、山間に入るとその寒さはいっそう身に沁みますし、雨に打たれるつらさはそうとうのものがあります。車のほうがいいと思うんですが、車は高いし、駐車代なんかにとられるのはバカらしい。バイクのよさは渋滞をすりぬけられることと、季節のいいときには気持ちのいいものがありますね。

 バイクでこけたのは二度ほど。雨の日のスリップとパンク転倒がありました。さいわい軽いケガですみましたが、転倒するコワさと痛みはいやになるほど味わいましたので、雨の日は絶対に飛ばさないことと、調子に乗ってスピードを出しすぎないよう気をつけることを覚えました。生身の負傷者をみるといっそうそういう気持ちが身に沁みます。

 バイクでとごまでいけるか&山間の風景を楽しむという探索はここにきていちおう一段落しました。休みになったらバイクでどこへいこうかという気持ちはおさまり、家でのんびりする日ももどってまいりました。いまは寒いしね。また新たなバイクの楽しみを見つけたいと思っています。

12 19
2006

日常

ノロウィルスにはご注意を


 ノロウィルスが大流行しているが、私は12月の初旬にノロウィルスにかかった。下痢気味な上、気分が悪くなり、嘔吐した。職場でノロウィルスの患者が出たから、たぶんうつったのだろう。しかしまったく感染ルートがわからない。

 水みたいな下痢ばかりになり、トイレットペーパーは一日一本ほど必要になった(笑)。まずはトイレから離れられない。熱も出たから、しんどかった。なによりも、嘔吐のときの気分がいちばん悪かった。腹は痛くはなかったのだが、水みたいな下痢には腹の中はどうなってしまったのかと思うほどだった。

 二、三日寝込み、体力の回復を待つしかなかった。医者にいくと腹をぽんぽんされただけで、若いということですぐ帰された。ノロウィルスかの検査は、風邪のウィルスの種類が検査されないようにふつう医者はしないようである。だから正確にはノロウィルスかはわからなかったのだが、こんな水のような下痢ははじめてであるし、医者もたぶんそうだろうといっていた。

 それにしても感染ルートはわからないし、こんな下痢症状が感染でうつるとは驚きである。風邪はせきや熱が出るが、ウィルスはせきによって感染ルートをつくる。下痢の場合はトイレに流されるから、嘔吐物が衣服について感染するルートがあるのだろうか。ホテルで三百人感染したように感染力は強力である。こんな伝染病が流行るなんて驚くほかしかない。ウィルスという存在はどうして宿主を痛めつけながら、繁殖しなければならないのだろうな。

 病気から回復し出したとき、めったに食べないお茶漬けがたいへんおいしかった。漬け物もまたうまかった。病気はシンプルな食べることの喜びを味わせてくれたのである。

05 28
2006

日常

バイクでパンク転倒しました。


 CIMG00342.jpg 吉野の宮滝です。

 きのう、ついにパンクで転倒しました。吉野まで足をのばした帰りに、支線とかの分かれ道にあるキャッツアイとかいう三角の突起に乗りあげてしまい、そのまま走っていたら急にハンドルの制御が効かなくなってド転倒。

 さいきん速度違反で捕まってからなるべくは40㎞ののんびり運転に抑えるようにしているのですが、車が追い抜きやすいように左のほうに寄るのですが、そのおかげでキャッツアイにひっかかってしまったではないか。この突起は犯罪なみの悪意に近いと思う。

 バックミラーが割れ、ブレーキ・レバーの先が折れ、地下道の真ん中に転倒。倒れる瞬間はもうどうしようもないですね。さいわい、うしろの車は止まってくれましたが、そのうしろの原付が急ブレーキにクラクションを鳴らしていました。

 とりあえずは狭い地下道を必死にひっぱりつづけました。ゲカのほうはひざの皮が真っ赤にめくれあがっていましたが、痛みはほとんどなく、ひじと腰あたりにも軽いすり傷をつくっていた程度でよかったです。長袖を着ることと、破けていたけど手袋をするのは大事だと思いました。リュックも意外と体のクッションになってくれる。

 場所は家から10㎞近く。はじめてのパンクですから自分では直せないし、バイクショップがどこにあるのかも見当もつかない。もう夜でしたのであたりを探してみて電車で帰ることにしました。

 ネットでバイクショップを探してみたのですが、いまいち近くにめぼしい店が見つからない。タウンページて探すのがいちばんだったかなと思います。次の日にあたりを探してみました。バイクに乗っている人に聞いてみようとも思ったのですが、つかまりませんでした。意外と近くにガレージの店を見つけられて、大ラッキーでした。

 一時はバイクがつぶれたのではないか、もう捨てて帰ろうかなともへこみましたが、解決すれば何事もなく平穏な気持ちに戻れました。痛みと失敗をくり返して、成長してゆくのだと思いたいです。


04 15
2006

日常

原付の初心運転者講習をうけてきました。


 去年十月にとった原付免許が早くも違反4点。さっそく初心運転者講習の春のおさそいをうけました。

 二点は一方通行だからまあいいとして、二点は21㎞スピード・オーバーである。原付で30㎞制限は不可能である。車の流れを考えたら30㎞で走ることは、車の迷惑や邪魔になることである。二輪レーンがあればいいが、車が追い抜けない狭い車道で30㎞で走る「根性」は私にはない。

 しかも警察からは罰金を一万ずつカツアゲされ、ダブル・ビンタ状態である。この法規がなぜ存在して、だれが決めていて、変えることははできないのかと思う。いままで警察のお世話になることなく生きてきたが、ポリさんが憎くなった。

 でも捕まってからなるべく40㎞で抑えるようにしたら、あんがい車の流れが先に行ってしまい、マイペースで走れることも発見。必死に車に合わせる必要もないのだと知った。原付はそういう乗り物だと観念するまで、車の「アイデンティティ」で走ろうとしていた。

 初心運転者講習は4時間。また一万も巻き上げられた。警察は強奪や窃盗という犯罪者の顔ももつのである。警察官の登場はなく、教習所の教官とのだらだらとした安全講習である。

 内容は適性検査、教習所でのコース巡回、外に出ての安全運転、危険予測のテストとそのための質疑応答、といったものである。三人で受け、平日しかやっていない。教習所の教官の態度はやわらかく、たんなる安全講習のなにものでもない。強制でなければ、一万の価値はない。

 適性検査は明らかに悪い例がわかる質問ばかりである。あなたはスピード狂ですか、イラチですか、あなたは車依存症ですか、あなたは自己中ですか、等々。

 教習所でのコース巡回は私は三人の先頭を走ったのだが、まったくコースが覚えられず、私の記憶力の悪さが決定的に露呈。じつは私はさっきやったことの記憶力がかなり悪いのである。ぎゃくに危険予測は強いから、「未来とりこし苦労型」の心のかまえをもっているのかもしれない。「こういったら人はどう思うだろう」「こうしたら人は傷つかないか」といったたぐいに心の多くを費やすのである。そのかわりさっきやったことの重要性は認識しないのだろう。

 あと2点で免停である。たぶん近々の予定だろう。私は仕事でもそうだが、失敗という限界にぶつかるまで、その過ちに気づかないのである。いったらどこまで探索できるか、壁にぶつからないとわからないのである。

 違反点数のことは私は知らなかった。原付の参考書には見当たらなかったような。6点で免停、15点で免許取り消しだ。行政処分はうまくできいていて、点数や免停が増えるごとに処分の長さや罰則が増えてゆく。
交通違反の基礎知識(行政処分)

 罰則はほんとうに交通事故を防ぐものだろうか。ほんらいは事故を防ぐという目的が最大のものであるが、けっきょくそれを罰則させる警察との怨恨や憎悪、駆け引きだけを増殖させている気がする。まずは自由であるはずの大人のプライドを引き裂き、感情の交換原則がそこから働くと、負債を返そうとする関係になる。人間関係の根本的なルールである。リバタリアンなら交通違反の罰則はどう見なすのだろうか。


 
01 01
2006

日常

戌年だけに犬論



 2006年は戌年だということで、犬について考えてみよう。

 犬と人間の関係というのはまったく不思議なものだと思う。種が違う生き物をわざわざ食べさせる関係が不思議でならない。しかし考えてみると人間は観賞用に植物を育てることがあるし、労働や食用としてウシやブタなどを家畜として生かしてきたのである。ただ愛玩用にほかの種を生かすという点で、犬は不思議な存在である。

 犬はかわいい。なついたり、服従をディスプレイしたり、主人とあがめたり、大げさに喜びや関心を表現する様は見ていて、とても愛しくなるのである。この特質はおそらく犬同士が集団で生きるためのボディ・ランゲージから発達したものだと思われ、それが人間にも通じるところから人間はこのコミュニケーション能力に魅力を感じてきたのであろう。

 私は十代のころをつづけて二匹の犬を飼ってきたが、人間より犬のほうが好きだと思うほど犬が好きだった。食いつくような好奇心や慕ってくれる表現力、喜びを大げさにあらわす無邪気さ、ほかの種でありながらコミュニケーションがなりたつという関係におおくの魅力を感じたのだろう。

 人間より好きだと思ったのは、なぜなんだろうと思う。やっぱり永久に私の上位に立つことはないということで、私は安堵できたからだろうか。あるいは人間の感情的なトラブルは長つづきして苦痛大きなものに対して、犬にはこのような感情のトラブルの経験がほとんどなかったような気がするからだろうか。飼っている犬は私を批判することはないし、怒ったとしても、放っておいたらいいだけである。ストレスの少ない関係であったのである。

 いまの私はマンション暮らしだから犬を飼うことはできないが、よその家の犬はなかなかよい関係が築けないと思っている。小さい座敷犬は小さいくせに吠えることが多く憎たらしいし、散歩中の犬はかわいいと思ってもそうそう頭をなでることもできない。かわりに自転車で走っていると追いかけられたり、ホームレスの放し飼いの犬に目をつけられたりと、ろくでもない関係も多くある。

 犬を飼うというのは不思議な人間の行動だとつくづく思う。まるで人間に望めないものを犬に求めているようである。人間に欠如していて、犬にあるものとはなんなのだろうか。無邪気さや計算のなさなんだろうか。

 言葉のない関係が癒すのかもしれない。言葉というのは人間を傷つけ、苦しめる根本のものである。犬との関係につかのまの言葉のない世界――つまり過去も未来も評価もない「いま」に癒されるからかもしれない。

 犬はステイタスの要素もある。たとえば一戸建てや庭がないと飼えないから裕福さの目印になったし、ある種類の犬はとても高い値段で取り引きされたりしている。流行もあるんだな。オオカミのようなハスキー犬が流行ったり、コーギーが増えたりと、人間のファッションやトレンドのような要素もある。ステイタスのために犬を飼育する人間というのは、つくづくつまらない生き物だと思う。

 20歳の時の死んだ私の友だちであった犬のことをたまに思い出すことがある。イジメたり、思いっきり叩いたことがあって悪かったなと思ったり、幸せな犬生?を送れたんだろうかと懐古したりする。またいつか私の友となる犬と暮らせたらいいのになと思う。その前に人間の家族と暮らすことが先だと思うのだが、人間の女性や子どもは犬よりもっと愛しい存在に思えるものなんだろうか。

 ▼1月1日のきょうもバイクでひたすら北上したが、きょうはやたら救急車が多かった。正月で浮かれて発作でも起こしやすくなるのだろうか。不思議な現象と思った。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

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