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05 30
2004

書評 労働・フリーター・ニート

『働かないって、ワクワクしない?』 アーニー・J. ゼリンスキー


働かないって、ワクワクしない?
アーニー・J. ゼリンスキー Ernie J. Zelinski

働かないって、ワクワクしない?

 私もまったく働かないことを希求している。でも働かなければメシが食えないのはわかりきったことである。保険や年金のために働きつづけなければならない。また世間一般並みのレベルも維持しなければならない。この心配をクリアできないことには働かない生活を選択することはできないのである。

 こういう立場から見るとこの本は働くことの害をちょっと大げさに煽っているような本に見受けられた。もちろん私はこの立場におおいに賛成する者だから共感する部分は多くあった。でもね。


ナマケモノでも「幸せなお金持ち」になれる本 本当に好きなことをして暮らしたい! スローライフの素602(ロクマルニ) ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。 今日が楽しくなる魔法の言葉
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05 30
2004

書評 労働・フリーター・ニート

『ホンネで動かす組織論』 太田 肇


ホンネで動かす組織論
太田 肇

ホンネで動かす組織論

 たとえば商品の売り上げが好調で連休も返上してフル生産となったら会社は喜ぶだろうが、従業員はせっかく楽しみにしていたレジャーの計画がつぶれてしまうかもしれない。会社と従業員のホンネはものすごくズレている。会社の売り上げが悪くて休みを増やされたら喜ぶ従業員も多いかもしれない。会社というのはもっとホンネで捉えられなければならないのである。

 この本ではホンネとタテマエのすれちがいの例がいくつもとりあげられていて、なかなかおもしろいです。低い残業代だからこそやる気をアピールできる、公務員が仕事をしないのは給料が同じなら仕事が増えるのはしんどいし損だから、大学教師は研究で評価されるが学生に人気があるほど負担が大きくなるなど、ホンネとタテマエの乖離がよくわかるようになっている。管理者はホンネを見抜かなければならないということである。


選別主義を超えて―「個の時代」への組織革命 認められたい!―がぜん、人をやる気にさせる承認パワー 個人尊重の組織論―企業と人の新しい関係 ボスと上司 学習する組織 現場に変化のタネをまく
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04 11
2005

書評 労働・フリーター・ニート

『仕事のなかの曖昧な不安』 玄田 有史


4122045053仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在
玄田 有史
中央公論新社 2005-03

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 不況が何年も続いた90年代後半、中高年ホワイトカラーの失業が社会問題になる影で、若者の10%の失業率はただ若者の怠け癖のせいにされた。

 そういう状況の中で、中高年の既得権益のために若者の仕事が奪われていると指摘したこの本は意味があったのだろう。サントリー学芸賞や日経・経済図書文化賞を受賞している。

 私にとってはデータばかりを読むこなすのにだいぶ疲れたし、楽観的なビジネス書になるような後半にはあまり関心をもてなかった。失業やフリーターにならざるをえない若者を擁護しているという点ではいい本であると思うが。

 ただなにか物足りない読後感がのこったが、それはやはりサラリーマン社会や会社中心社会を批判する目がまったく欠けていることにあったのだと思う。失業やフリーターになるのは生産マシーン国家への静かな抵抗があるからだと思う。その点がすっぽり抜け落ちているこの本はてんで若者の代弁書とはなっていないのである。

 悪いのは中高年の既得権益で、会社中心主義をまったく問題にしない視点は、若者を生産マシーン国家に放り込むだけの結果に終わってしまうだろう。


04 12
2005

書評 労働・フリーター・ニート

『「負けた」教の信者たち 』 斎藤 環


4121501748「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論
斎藤 環
中央公論新社 2005-04-10

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 ニートやひきこもりになるのは、私自身のなかにもあるコミュニケーションの苦手意識や現状否定のプライド、世間の目を怖れる心などが拡大・延長されたものであるという思いを強くした。就職を忌避した私は、かれらと同じような心情をもっていると改めて思った。

 自分の中の弱い部分を延長してみたらひきこもりになる気持ちがよくわかる気がした。大人や社会とコミュニケーションすることを怖れ、就職に自尊心や自己愛をすべて賭け、社会を否定的に見ることにプライドを保ち、近所の目をやたら気にしていた部分が延長されれば、ひきこもりにならざるをえないんじゃないかと思った。

 これはいまの社会経済の姿をそのまま写しているんだと思う。学生は社会の大人と接することはてんでなくて過剰な不安を抱かせるし、学校や地域と職業社会の接点はぜんぜんなく、地域から見れば職業社会は遠くの閉ざされた世界に見えるし、それらの接続はひじょうに弱く不況と重なって就職への壁は高いものになっているし、近所の世間体の目というものはブチ切れるほどうっとうしいものである。社会の機能不全の面がすべてひきもりに背負わされているように見える。

 学校と郊外住宅地が企業社会から隔離されすぎた結果なのだと思う。学校という高い塀が若者の働いて生きる道をぎゃくに閉ざしたのである。子どものころから丁稚奉公に出されていたら、彼らはいまのような社会の恐れを抱く暇もなかっただろう。子どもと主婦だけの空間になる学校や地域社会を職業社会のなかに融合させる必要があるのではないかと思う。

 あと一点、ひきこもりやニートを不安な面や恐ろしい面ばかりからみる傾向が強いが、あまり深刻さや病理的にとらえるのはよくないのではないかと思う。かれらは心理主義化された社会の格好の餌食なのである。非社会性を恐れるわれわれ自身の不安なのである。

 古今東西の歴史の中でひきこもったり、働かずに生きてきた者などたくさんいたのではないか。仙人や聖職者はそういう生き方こそを崇拝してきたのではないか。いっそ仙人をめざしたらいい。それらを異常視するまなざしを問え。

 なおこの本のはじめまではかなり期待をもって読めたが、雑誌に掲載されたものであるから当時の時事問題ばかり読まされ、かなり倦んだ気持ちになった。本というのは時事問題にとらわれない長く読まれる問題をあつかうのではないのか。今日明日に古くなるような新聞や雑誌ではない。もうすこし長期的・本質的な内容ではなかったのが残念である。


09 23
2005

書評 労働・フリーター・ニート

『誇大自己症候群』 岡田 尊司


4480062637誇大自己症候群
岡田 尊司
筑摩書房 2005-09-05

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 私自身もなかなかおちつけない職業選択のなかに誇大自己ではないかという思いをもったものである。働くということを軽蔑したり、自分のついた職業・職場にいつもしっくりとこない違和感を感じてきた。なにか自分が特別な職業につかなければならないという感じがしていたものである。

 この本はそのような現代に増えた誇大自己いうものをとりあげた本で、期待したのだが、犯罪というアプローチからそれを捉えたのはあまりにも俗っぽいニュース解釈にしかすきず、不満であった。フリーターやニートという存在に誇大自己をみるのはたやすいと思うし、もっと日常なものにそのあらわれをみるべきだと思うのである。犯罪という異常な領域からそれをみるのは、もういいやという気がする。

 誇大自己のいろいろな解釈があったが、私自身がいちばん腑に落ちたのは、親の期待と理想を押しつけられる子どもと、現実の落差が、全能感を長引かせるということである。自分は特別な存在でなければならない、あっと驚く大きなことをしなければ価値がない。子どもは親の失望と、自分自身への失望を二重に味わうのである。

 特別な存在でなければならないことと、自分がそうでないことのやましさ。自分の望みもしないことをいつのまにかやらされて、失敗させられたという被害者意識と、そのことに対して仕返ししてやりたいという復讐心に発展してゆく。私自身も青年期に母親に思い切り反抗したことがあるし、家庭内暴力やニート、ひきこもりのなかにはそのような自分への落胆と復讐心があるのではないかと思った。

 親の期待のなかに全能感は強迫観念となり、現実とのギャップに齟齬をきたすようになる。現実のことをやろうとしたり、努力や試みをすれば、自分の無能力や自信のなさが露呈してしまう。ニートやひきこもりのなかにはそうした全能感を必死に守ろうとする抵抗があるのではないかと思う。

 誇大自己のトゲを抜くのはかなりむずかしいように感じられる。現実に着地することは自分に価値のないように思われてしまうのである。かなり自我の根本的なところをつかんでいる気がする。

 理想化を捨てて、ありままの自分でいられること。これは数多くのセラピーがめざしてきたことでもある。ありのままの自分とはなにかというとひじょうにわかりにくいことだが、私自身は思考や自我を捨てるという方法にいちばん恩恵を受けてきたように思う。誇大自己というのは思考のパターンやその固形化であると思う。これを消すことが、ありのままの自分の肯定につながった。というか理想化の強迫観念を削ぎ落としたのだと思う。

 宗教的なイメージから抵抗のある人がいるだろうと思われるが、私はリチャード・カールソンやトランスパーソナル心理学、大乗仏教のなかに、優れた思考を消し去る方法や自我の葬り方を学んだ。誇大自己や全能感というのは思考であると思う。無思考をすすめた古来からの仏教は、意外なことに、現代の誇大自己に効くというのは皮肉なことである。

▼誇大自我の消去に参考になる本
『グルジェフとクリシュナムルティ』 ハリー・ベンジャミン
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 自我というのは頭の中で自己の価値観を維持・保守する機能のことである。人からないがしろにされたり、軽く扱われたりしたら、たえず自己の価値観の賞賛と称揚を頭の中でおこなう。そのような自我の情けなさを知るには驚きのおすすめ本です。


09 24
2005

書評 労働・フリーター・ニート

『働こうとしない人たち』 矢幡 洋


4121501780働こうとしない人たち - 拒絶性と自己愛性
矢幡 洋
中央公論新社 2005-05-11

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 「働こうとしない人たち」という大きなタイトルのわりに、多くの働かない人たちの理由をカバーしたわけではない本である。おもに拒絶性スタイルと自己愛性スタイルの人たちをとりあげただけで、かなり片手落ちの本だ。

 拒絶性スタイルというのは人から命令されたり指示されたりするのは主体性の侵害に感じられ、仕事をのろのろやることによって消極的な抵抗をおこなうタイプである。こういう人たちが働かない若者の多くを占めているのか疑問だが、かなりのページをこの人たちに割いているのは不満である。

 この拒絶性は依存性パーソナリティーのなかにふくまれ、「自分自身の考え」を大切にするより、グループに合わせることが死活問題である人たちであり、こういう若者がふえているから自分自身で決めなければならない就職問題でつまづくことが多くなっているといっているが、う~ん、私にはこういう人たちのほうがみんなに合わせて社会に同調しやすいと思うのだけど。

 自己愛性スタイルは自分は特別な存在であるから、目の前にある仕事を自分にはふさわしくないと思ってしまう若者で、どちからというとこういう若者のほうが多いような気がするのだが、本書ではあまりページを割かれているわけではない。

 働かない人たちがふえたのはやはり社会の価値観が生産より消費に価値がおかれた時代になったからなのだと思う。消費や知識に価値をおかれたメッセージや教育を受け、その勝者をめざしてきた若者が、いきなり丁稚奉公のような転落の労働に価値をみいだせるわけがない。価値観の問題であり、ルーティン・ワークや肉体労働、頭を使わないことに価値をおかない社会のせいでもある。

 働かない理由を心理学的要因にもとめるのは少なからずは参考になるかもしれないが、やはり大きく説明できるわけではないと思う。


09 25
2005

書評 労働・フリーター・ニート

『子どもがニートになったなら』 玄田 有史 小杉 礼子


4140881526子どもがニートになったなら
玄田 有史 小杉 礼子 労働政策研究研修機構
日本放送出版協会 2005-07

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 ニートという存在にはこれからの社会の変化や転換の意味がすべて凝縮されているのだと思う。豊かさや安定、正社員といったこれまでの目標が、ぜんぶ終わってしまったのだということを報せているのではないかと思う。これまでの価値観や時代は転換を余儀なくされているのである。

 戦後の希望や理想は終わってしまったのである。そして子どもたちは親の生き方を認めていない。あんな人生を送りたくないと思っている。親は人生を否定されたうえに、パラサイトされ、ニート化され、食い物にされているだけである。ある意味、この世代は国や社会、会社や女にこのように利用されてきたことを象徴しているのではないかと思う。

 ニートの世代は親に過剰な期待や理想を押しつけられた世代である。未来の希望や理想を膨大にしょいこまされた世代である。だから職業や親の人生を軽蔑したり、つまらない仕事には満足できない。過剰な期待や理想がぽっきり折れてしまい、終わってしまった世代なのである。

 長須正明という大学講師は、人生を早々とあきらめろといっているのは、この世代につけるいいクスリになると思った。思い通りの人生なんか送れるわけがない、とはじめから悟っておくぺきなのである。過剰な期待を背負わされたこの世代には、ほんとうに必要な言葉なんだと思う。

 ついでにこの人は家族のために、子どものために働くのはやめたそうだ。働いていも軽蔑され、食い物にされる親世代にはそのくらいの潔さが必要なんだろう。なぜこの世代はバカにされても家庭と子どものために働いてきたのだろう。この価値観の否定がニート世代にあるわけである。ただ新人類世代になるともう自己中だからパラサイトの子どもを放っぽりだす可能性があるが。

 ニートは親社会の否定であり、軽蔑である。このことを社会はしっかりとわきまえて、価値観や社会の転換をめざすべきなのである。変わらなければならないのは社会と親のほうである。自分たちの価値観の時代は終わってしまったのだと知るべきなのである。

 ニートになってしまった人は、自分の情けなさやカッコ悪さを受け入れるしか、働く術はないのではないかと思う。それを否定すると、なんの仕事にもつけなくなってしまう。どんな仕事でもいい、メシさえ食えればいいと思えるようになれば、けっこう仕事は広がっているのかもしれない。貨幣経済の世の中だから、そうするしかないのである。あきらめが人生を開くことを知るのも大切であると思った。

 ▼70年代のモラトリアムからニートへの系譜
  モラトリアム人間の時代41400157131.jpgだめ連宣言!パラサイト・シングルの時代

10 15
2005

書評 労働・フリーター・ニート

『まなざしに管理される職場』 大野 正和


4787232495まなざしに管理される職場
大野 正和
青弓社 2005-10

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 日本の職場は仲間に迷惑や負担をかけないために働くという指摘はまったくその通りだと思う。それも金銭的な報酬や労使関係より、もっと大事なことになっているのである。

 だから自主的な残業は長くなるし、有給のとりにくい環境が生まれるし、なんのために働くのかといったことや労使関係があいまいになったりする。仲間の評価のために働くのは一方ではやりがいを生むが、迷惑をかけたくないという過労死や働きすぎという負の側面も生み出すのである。

 今、アメリカでも日本的経営のチーム制をとりいれたおかげで日本のような働きすぎの兆候があらわれているという。欧米は従来、仲間のチェック機能がまったくなく、上司からの命令による「働かせる/抵抗する」という一方的な関係だけであったが、だからこそ労使対立が際立ったりしたのだが、その理由がこの対比によってよくわかるというものである。

 仲間の評価を恐れるために働きすぎをやめられない日本人という姿はひざを叩きたくなる指摘なのであるが、残念ながらこの本はその先の一歩も踏み出していない。私はだからどのような問題や影響がここからあらわれており、そしてそれを肯定するのか否定するのか、もし否定するのならどのような解決策を見いだすのか、といったことをいちばん知りたかったのである。ちょっとそこが腹立たしい本であった。

 仲間の罪悪感のために働くといったあり方から、契約や金銭報酬のために働くという方向にスライドしないと、つまりその力学の客観性を養わないことには、いつまでたっても日本人は盲目の労働主義から抜け出せなくなるだろう。日本軍の失敗もこのような集団力学から生まれたものだと見なせると思うし。日本の職場は盲目の職場集団になりやすいのである。


 ▼著者本人からメールをいただきました。たしかに「ではどうするか」に触れていないとおっしゃられておりました。欧米の限定された契約観の実例やありかたを学ぶべきなのかなあと思います。仲間の迷惑のために働く日本の職場という指摘は、日本企業の本質をつかんでいると思うので、ぜひこれからもこのありようを分析していってほしいと思います。

 HP 「<私>の研究と過労死」
 http://www.geocities.jp/japankaroshi/
 E-mail ohm40@nifty.com

 過労死・過労自殺の心理と職場
 


11 11
2005

書評 労働・フリーター・ニート

長須正明さんへのメールです。


 ありがたいことに『子どもがニートになったなら』で対談されている長須正明さんからメールをいただきました。さっそくメールを送信したのですが、サーバーに拒否されるようなので、しかたなくこちらのほうに載せることにしました。お目をお通しください。

子どもがニートになったなら


長須正明さまへ
 
 
ありがとうございます。
 
『考えるための断想集』の「うえしん」といいます。
書評集を読んでいただき、たいへんありがたく思っています。
 
『子どもがニートになったら』でいちばんおもしろい人だったと思った長須正明さんから
メールが来るなんて、うれしいかぎりです。
 
前のめりの価値観をあっさりと否定する姿勢には笑わさせてもらいました。
そして肩の力が抜ける気がしました。組織とか家族をあっさり捨てるなんて(気もちの
上でですね)、すばらしい人(笑)だと思いました。そういうメッセージは伝わる人には絶対に伝わっていると思いますよ。
 
森毅さん的な価値観の落とし方が共通する人だなと思いました。
森毅さんもみんなが最高の価値だと思っているものを、いともあっさりとかんたんに
落とす人で、ずいぶん胸がすく思いがしたものです。
 
世の中の最高とされる価値観なんて宗教みたいなものですから、それを否定しても
かなり反発されるものだと思いますが、自己実現とか仕事なんてつまらないという
現実や経験は大人がちゃんと伝えていってほしいと思っています。
 
ニートの問題はほんと難しいと思います。
仕事や親の生き方に対する感情的な不快感がもつれているという感じがします。
好景気や人手不足ならそんな疑問に拘泥するまえにさっさと働いていたと思うの
ですが、いまは若者が切り捨てられているか、アルバイトでしか雇用されない時代
ですよね。雇用環境がよくなれば解決する問題にも思えるんですが、そうならない
からこそ難しいんですよね。
 
ニートの問題は親自身が自分の生き方を考える上で、自分自身のことのように
考えるべきなのだと思いますが、企業とか経済に年金とか退職金を人質にとられて
いるもので、ほかの生き方を考える余裕もないのですね。それらを捨てないと、
企業に組み込まれた人生から逃れられないと思いますが。親と社会のシステムが
変わるべきだと思うんですが、まずは社会が変わることもないでしょうね。
 
長須さんにはぜひ働くことや人生に関する若手に向けたメッセージ本を書き下ろして
ほしいと思っています。世の中の至上価値を笑って突き落としてほしいと思います。
 
これからもよろしくお願いします。
 
                               うえしん



12 05
2005

書評 労働・フリーター・ニート

『日本のニート・世界のフリーター』 白川 一郎


4121501977日本のニート・世界のフリーター―欧米の経験に学ぶ
白川 一郎
中央公論新社 2005-11

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 なんではじめに政策ありきなんだろうと思う。世界の若者が高失業率やフリーター化に直面していることは知っていたのだが、その状況や若者の生の声を聞きたいとずっと思っていたのだが、いっこうに伝わってこない。その段階をすっ飛ばして政策本が出た。

 いまでこそ働くことを考えるとり組みはだいぶ増えたのだが、私が二十代の90年代、なんで働くことがこんなにつまらないなんだろうと悩んで、壁にぶつかってきた。早くから高失業率に直面する世界の若者について知りたいと思ってきたのだ。まずは世界の若者はどう考えているんだろうかということを知るのが先だと思うのだが、政策の本なのである。

 もちろん世界の若者の状況がよくわかる本である。ヨーロッパでは平均失業率が8、8%であるが、若者失業率は二倍の17,9%である。イタリアにいたっては90年に若者は31、5%も失業している。日本では10%を越えた。なんでこんな状況に直面する若者の生の声が伝わってこないのだろう。

 英国、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、アメリカなどの各国の状況を見ながら、日本の政策提言をおこなうというしっかりした本である。各国とも若者失業率は平均の2,3倍、10%から20、30%の高失業率を推移している。

 日本の政策については、正規雇用者を保護している雇用保護を削減することと、社会保障プログラムを非正規雇用者にも拡大することであるといっている。雇用保護規制が強い国ほど非正規雇用が増えているのである。これからの雇用政策ついてかなり参考になる本である。

 90年代からパートやフリーターが増えており、社会保障も適用されない状況を政府はずっと見て見ぬふりをしてきた。企業にいいように食い物にされている状況を、政府やマスコミはまったく無視してきたのである。この国の真の状況や権力のありようが見えてくるというものである。怒。怨。


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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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