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12 28
2014

書評 労働・フリーター・ニート

まあ一般書――『楽しそうに仕事をしてる人の習慣術』 野口京子

4309503748楽しそうに仕事をしてる人の習慣術
野口京子
河出書房新社 2010-11-25

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 仕事に価値を見いだせないわたし。どうして仕事に低い価値しか見いだせなかったのかと問おうと、ぎゃくに楽しむための仕事術の本を数冊買ってみたが、問い方まちがったかな。人生をすごすことの価値にたいして、仕事をすることの価値はどうして低く見積もったのかといった自身の価値体系、価値優劣の洗い直しをしたかったのかもしれない。

 この本はしごく一般向けの本。深みや思索を誘う本ではない。ドッグイヤーから何点か。

 なにかに高い自己効力感をもっている人は、なにかに失敗しても、その理由を自分の能力が低いからと考えない。自分の努力が足りなかったと考える。自己効力感の低い人は、失敗を自分の能力不足のせいにする。そのためにもう努力をおこなわない。

 外交的にものを考えるということは当世流に考えるということで、大勢順応型の思考方式。内向型人間は自分の意見や方針にものさしを当てているので、他人の共感をあてにしていない。自分のしたいことをひたむきに追いかけている人は、他人や世間の評価にいちいち振り回されたりしない。

 本をたくさん読んだほうがいいといわれるのは、自分の体験だけでは「体験の貯蓄」に限りがあるから。

 ある人を嫌いといって排除するのは、その人が圧迫感をあたえ、不安をかきたてるから。自分の弱点の亡霊が嫌いな人で、他人を排除してもつきまとう亡霊が消えるわけではない。

 上の二点は性格のせいにしているのだが、考え方の問題ではないかといえる。考え方を変えれば、性格だって変えられる。やっかいなのは考え方は無意識につくられ、自分でもその支配下にあることに気づかないことである。
 
 仕事に価値に見いだせない人生をわたしはながらく生きてきたが、その生き方を押し進めるのではなく、逆のそのような価値や思い込みをつくったものはなにかと問うてみようと思った。補強する本や思想ばかり浴びてきたのだが、この価値観自体に囚われないほうが人生ラクだろう。なぜいろんな仕事に価値を見いだせないのか。自身の価値体系の相対化がしたくなった。



働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと~職業を生きる精神―平成日本が失いしもの (叢書・現代社会のフロンティア)私たちはなんのために働くのか  「働く意味」と自分らしい働き方を考える働く。なぜ? (講談社現代新書)あたらしい働く理由をみつけよう What is your salary?


12 24
2014

書評 労働・フリーター・ニート

タレント居酒屋談義――『「やりがいのある仕事」という幻想』 森博嗣

「やりがいのある仕事」という幻想
森博嗣
朝日新聞出版 (2013-07-02)


 なんだろう、人気作家のタレント本というのかな。工学部で作家というから浮世離れしているのかもと思ったら、そのまま客観的裏づけのない居酒屋談義を聞かされるだけ。百円本だったからよかったものの、ファンの方だけが読むシロモノだろう。

 世の中の大事にしている価値観をふっ飛ばしてくれた森毅ポジションに似ているかもしれないが、およびもしない。新書にも見かける方だが、進出していいの?

 すこしだけいい言葉があったとしたら、つぎの何点か。

 子どものときに好きなことを見つけたとしても「そんなオタクな趣味はやめろ」といって妨害される。周囲がゆるしてくれず、いやな顔をする、迷惑だといわれる。でも自分がやりたくてしかたがない、この抵抗感こそがやりがいである。その困難が楽しみの本質である。

 いつも楽しそうな人はその話を自分からしたがらない。そうでない人というのは、子どもの写真を見せたり、仕事の話をしたり、マンションの話とか、旅行の話を自分からいいたがる。ほんとうの楽しい者は人に話す必要などない。自分のためにするものだ。

 ほんとうに儲かる商売なら、ノウハウを公開したり、人を集めて指導したりしない。教えないこと、知られないことが儲かる状態をつづける最善の策だからだ。すでに流行っているもの、広く人気があるものは、これからビジネスをしてはいけないサインである。よく宣伝される商品は売れてないからこそ宣伝される。

 話をするのが苦手だ、考えて工夫するのが得意という人はぎゃくに営業に向いている。人と話をすることが得意という人は営業に向いていない。なかなか話せない人はよく話を聞く信頼できる人という印象を与える。営業の仕事で大切なことは、信頼を得ることであって、調子よくしゃべることではない。

 まあ、この本には仕事をおおげさに考えるなとか重い価値観を背負わせる必要はないといった価値転倒の基本ベースをもっているから、それなりに肩の荷をおろせる考え方を与えてくれるだろう。だけど作家で成功してもう稼ぐことの必要のないこの人の頭の中のことだけであって、世間やほかの人がどれだけ共有してくれるのかといった点でははなはだ頼りない。その共有ができない世の中だから、若者は仕事のことで悩むのではないの。


僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)「働くこと」を問い直す (岩波新書)もじれる社会: 戦後日本型循環モデルを超えて (ちくま新書)いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる (PHP新書)「働く意味」がわからない君へ ビクトール・フランクルが教えてくれる大切なこと


12 17
2014

書評 労働・フリーター・ニート

二、三点いい言葉――『仕事がつまらない君へ』 小林 英二

4863540159仕事がつまらない君へ
小林 英二
シーアンドアール研究所 2009-01-23

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 仕事のつまらなさから抜け出せないわたし。けっきょく自分が価値あると思う仕事につけていない、挑戦できなかったという自分要因がつよいと認めざるをえないのだけど、目の前のつまらない仕事をどうにか克服できないか。

 なにかいい考え方はないかと古本で200円のこの本を手にとった。まあ体裁じたいがすごいことを書いているふうでもない本なのだが、二、三点いい言葉があった。

 自分探しというのは、自分を固定的に捉えることで、そういう探し方をしていると「過去の自分」に合った仕事しか見つからない。仕事を通して「新しい自分」をつくってゆくのが正しい考え方ではないのか。「新しい自分を発見できる仕事」や「新しい自分に成長させてくれる仕事」を選んだほうがすばらしいのではないか。これはいえていますね。過去の自分で捉えているとほかの可能性や新しいことには挑戦できませんよね。

 成長したかったら、「居心地の悪い環境」におくこと。いままでやったことのない仕事、できそうにない仕事、会ったこともないような人との仕事、居心地の悪い仕事をする。ぜったいに新しい能力を身につけなければならないという必要性に迫られる。せっぱ詰まった必要性がいちばん能力や成長をひきのばしてくれるのである。このひやひや環境に自分の身をおけるでしょうか。そういった環境に身をおかないと数年後の自分は成長していることはないのでしょうね。

 ケーキ職人でもふたつの考え方ができる。「家庭の主婦にもできるつまらない仕事。仕事はハード、クリスマス前には徹夜の連続。立ち仕事で力作業。稼ぎもたいしてない」と思うか、「ケーキの出番は人々が幸せなとき。ケーキで人をどう幸せにするか、笑顔にするか考えるだけで楽しい。幸せ演出業なのである。世の中の幸せにこれだけ関われる仕事はほかにはありません」。仕事の結果もとうぜん変わってきますね。

 この本の中で自ら決意して三年間モーレツに働けという章がある。その体験がないと仕事がおもしろくなることはないという。なにかを手に入れるためにはなにかを犠牲にしなければならない。そうかもしれないけど、うなづきたくない部分。


楽しい仕事はない。だから楽しくやる 入社1年目の教科書 (PHP文庫)楽しい仕事 なぜ働いても達成感がないのか 明日からやる気がわき出る心理学どんな仕事も楽しくなる3つの物語 (中経の文庫)仕事に幸せを感じる働き方和田裕美の今の仕事がつまらないと思ったら読む本 (だいわ文庫)


12 13
2014

書評 労働・フリーター・ニート

仕事が不満な人はぜひ――『仕事はどれも同じ』 キッツ+トゥッシュ

4484121158仕事はどれも同じ
「今やっている仕事」を「やりたい仕事」にする方法

フォルカー・キッツ マヌエル・トゥッシュ
CCCメディアハウス 2012-06-28

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 転職をくりかえす人、仕事に不満を抱く人にはぜひ読んでいただきたい。仕事に不満をもつ心理的な内容が俯瞰できて、目がひらかれる。アマゾンの古本で100円+送料ていどで手に入れられたので、安いものである。ドイツのベストセラーで、ビジネス書ではめずらしい。

 けっきょく人間は果てしない不満を抱くものであり、欲望は限りなく、情熱や好奇心はいつか慣れるものであり、ルーティンになる。不満は仕事や職場環境にあると思っていたけど、自分の内側、自分自身の考え方にあるものではないのか。わたしは自分の不満という心理状況に向き合っていなかったな、手放せずにいるんだなと思った。

 第Ⅰ篇は仕事の不満の内容を分析したもので、これはすばらしい。第Ⅱ篇はエクササイズになっているが、これにはしょうしょう失望する。認知療法や違う考え方のもち方をもっと提示してほしかったのだけど、自律訓練法とか漸進性筋弛緩法とかありきたいのセラピーはがっくり。おすすめできるのは第Ⅰ篇の仕事の不満内容だけ。

 仕事に不満を抱く一つに収入があるが、他人より多額の収入を得たいというのがモチベーションの源泉にあるが、世界中のどの仕事についても満足感を得るのは不可能であると結論づけられる。同僚とはりあって多くの収入を得てもつぎは社長の収入に不満を抱くし、社長は社長でほかの多額な収入を得ている他企業の社長に不満をいだく。

 成功を得てマスコミにステータスをもつことができた作家も同じこと。ステータスも他人より上であることが満足なのであるが、上には上があって切りがないのだ。歴史上の人物、来年に消えるかもしれない名声、安いギャラ、多忙さが不満になる。

 人を助ける有意義な仕事だと思われている医師だって不満を抱いている。単なる日課やルーティンになってしまい、自分の注射はべつに自分が打つ必要もない代替できるものである。多忙なのに薄給を不満に思い、事務書類が多量にあり、ほんらいしたかった人を救う仕事をできない。

 いつか自分の活動の意義と価値に慣れてしまう。たんなる日課に思えてしまう。高い理想的基準をもつ人は、自分の仕事は他人の仕事とは違うという意識に支えられている。みんなはわたしを頼ってくれていると。だから自分の仕事が入れ替えのできる仕事だと思ってしまうとたえられなくなる。

 自分の好きなことをしている芸術家だって、絵を描くより生産するような気持ちになったり、経営がのしかかると楽しみが不意に消えてしまうこともある。契約を獲得し、顧客の指示どおりに作業をおこない、請求書を書き、注文がいつでもくるようにすると、楽しみが即座に消える。気分しだいにできていた芸術が仕事になり、束縛し、拘束するものになる。

 仕事はどんな情熱をもつものでも、慣れてしまうものだ。情熱をとりもどせない。転職をしたとしてもさいしょは情熱をそそげるが、いつか慣れや退屈の意識はしのびこんできて、元の木阿弥にもどる。人が仕事を選び際はひとつの動機だけを重視し、一つだけに集中して、失望を味わう。株式投資のように危機管理を分散することによって損害を減らすように、仕事にもリスクヘッジが必要なのである。

 人は何かを得たらなにを得たで、そのうちに慣れてしまう。その立場を喜ぶ代わりにもっと多くもっている人、よいものをもっている人に目を向けてしまう。

 成功したテレビ・リポーターも数年後にはくりかえしの仕事やメンバーに退屈を覚えている。大企業の幹部も華やかな舞台とは裏腹にまいとしくりかえされる幹部会議、記者会見、株主総会にうんざりしている。

 自由業や独立は自由だと思われているが、顧客はうるさい上司や会社と違うレベルの過酷な注文や作業を要求するようになる。労働法に守られていた権利も、仕事をよそに変えられる危機から、条件を守ることもできない。

 わたしたちが逃げているのは、自作の現実からではないのか。自分自身から逃げようとしているのではないのか。

 けっきょく、わたしたちは不満や不公平を受け入れることができない。変えられない、自分の人生や運命をコントロールできない、無力な存在を受け入れられないだけではないのか。「なぜ、どうして」という疑問をずっと抱きつづけて、そのような思考は救いをもたらしたことはあったか。

 インド人の貧しくても厳しくても、受け入れる、満足する姿勢に著者たちは希望や理想を見いだしているようだ。不満や不快感を抱かずに、ただ世界のありよう、あり方をただ受け入れる。世の中がどうであろうと、それが自分にとってベストであると受け入れている。いささかインド人を理想化しすぎているのだが、べつの理想やありようを想像しないで、受け入れることに著者たちの目標や理想はあるようだ。

 この本を読んで仕事に不満をもち、転職をくりかえしきたわたしはどうやら仕事や職場に不満ばかり抱いてきたことがよくわかった。不満を抱くという思考のクセをまったく問題視してこなかったことにようやく気づいた。問題点は不満という現実の否認やほかのありようを求める想像だった。「あるがまま」を受け入れるなんて思想は山のように読んだのだが、こと仕事や労働にたいしては不満や不平を抱かずに、「あるがまま」を受け入れるなんてことがまるでできていなかった。

 不満なのである、現実を受け入れることを拒否するものは。「あるがまま」というのは、ほかのありようや理想を想像しないで、そのまま受け入れることなのである。不満という遮蔽物をうちたてると、まずは「あるがまま」を受け入れるという状態を得ることはできない。

 欲望は数限りなくとどまるところはないといった悟りの思想はいくらでも聞いた。だけど仕事や状況にたいする不満や欲望にたいしてそれを適用もしなかった。仕事や労働にたいする侮蔑心をもっていたので、自分の不満や軽蔑を問題化することもなかった。そのために不満という遮蔽物はいつまでも問題視されることはなかったのだと思える。

 不満のコントロールという問題がようやく浮き出てきたように思う。不満という問題、思考、想像という問題とつきあってこなかったなと悟らされた。



(文庫)もう、不満は言わない (サンマーク文庫)仕事でいちばん大切なこといつもの「グチ」がなくなる本なんとなく仕事がイヤッ!―職場の不満を解決する26の方法あなたは仕事が楽しいA子さん?不満だらけのB子さん? (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)


12 09
2014

書評 労働・フリーター・ニート

「人生でなにをすべきか?」――『このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?』 ポー・ブロンソン

4757210477このつまらない仕事を辞めたら、
僕の人生は変わるのだろうか?

ポー ブロンソン Po Bronson
アスペクト 2004-06

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 タイトルもよすぎるし、テーマもひじょうに興味深いのだが、50人の人生の転機について集めたこの実例集は、要約やエッセンスがなされておらず、教訓や意味をつかみとるのがひじょうにむづかしいのでわたし的には残念感がつよい。類書がないだけに豊かな果実をもぎとりたい思いはつよかったのだが。

 本書は「人生でなにをすべきか?」という問いに真摯に立ち向かった人たちの物語が、著者のインタビューや交流によって描かれている。

 スタッズ・ターケルの膨大な『仕事!』(72年)という本に似ているのだが、この書は仕事自体が問題とされているのに対し、本書は人生の転機がテーマである。アメリカでも70年代ころまでは終身雇用的な自分の仕事にたいする疑問をもたない生き方が主流であったのだが、そのころを境に転職をしない人間は稀有になるほど社会変化の激しい時代に突入している。ゆえに「人生でなにをなすべきか」「自分はほんとうはなにをしたのか」と問うことがひじょうに重要な問いになっている変化をあらわしているのだろう。

 著者のポー・ブロンソンは64年に生まれており、両親の中年の危機をみて育ったといっている。両親ははやくに大人の仲間入りをし、住宅ローンや子どもの責任のために夢をあきらめ、中年になって青春をとりもどしたい思いに駆られるようになる。そして著者の世代はそのような失敗におちいらないよう、できるだけ責任にとりこまれず、青春時代にしがみつき、遅い結婚をし、子どもを先延ばしにする。このような世代の変化のなかに本書の問いのような「人生でなにをなすべきか」という問いは生まれたのだろう。

 著者はスタンフォード大を卒業し、証券会社で働き、作家をめざした青年だったので、本書に出てくる人生の転機を迎えた人たちはかなりのところエリートや文学まわりな人たちであったと思う。ホワイトハウスに出入りする人や起業をおこなう人など、かなりのところわたしには実感をともなわない経歴の人も多かった。

 これまでの人生はいかに金を多く儲け、出世するかが成功物語であったが、おのれの心を解放し、才能を花開かせ、世界への贈り物を明白にする、そのような物語が成功になるべきだというのが著者の思い。

 いく人かの印象深い人をあげるとすれば、弁護士からトラック運転手になったある男は、子どもの質問の一瞬一瞬に注意を払って、有意義にすごすことを教えてくれた体験によって、弁護士の仕事を投げ出した。また27年間、物理学を教えた教授が年齢をかえりみず弁護士に挑戦する話は、人生に遅すぎるということはないという教訓の一例に思えた。

 子どものときから医学の道に憧れてその道にひたすら邁進してきたのに、与えてばかり、捧げてばかりの人生にいや気がさしてやめた女性の話も興味深かった。人好きのする男がセールスマンは天職だと思っていたのに情熱をそそげず、看護士という人助けのできる仕事に天職をみつける例も意義深いと思う。

 ニューオリンズの職業で自己を規定しないという土地柄には興味をもった。成功を追い求めるとほんとうにやりたいこと、ほんとうになりたい自分が犠牲になることがある。ニューオリンズはほんとうにやりたいことと触れ合える場所だという。夢は現実化されなくても現実であるし、人は自由時間を増やすために働く。失敗のしようがない、努力だけで認められる文化であると。いささか理想化されすぎるに思えるが、環境が人を変えることもあるのだなと。

 家族や子どもをもつと人生の意義をさがすという苦労から解放されるという話もある。家族が意味をあたえてくれるから。いっぽう、意義のない仕事についやすのに耐えられなくなるということもある。情熱を欠いた人生を子どもたちに見られたくないと思うからだ。

 子どもをもつと自分を成功者のような気分にさせてくれるのか。子どもを持つと従順ではなく忍耐強くなる。寛大になる。ありきたりな成功や失敗で測らなくなる。与える満足に満たされるようになる。満足のかたち、モノサシが変わるのだろう。他人のモノサシで自分を測るクセを人生のどこかで捨てることはたいせつである。

 まあ、本書の50人の人生の転機から、教訓や示唆を読みとるのはなかなかむづかしいように感じられた。こちらになにか機が熟しているものがないかぎり、他者の人生から啓示をうけとるのも容易ではないのだろう。

 この本は人生の転機を後押ししているのだろうか、それともおしとどめようとしているのだろうか。生計の維持に釘づけられていると迷うことすら禁止されているのだが、抑えていてもいつかわきあがる問いが、「人生このままでいいのか」といった疑問だろう。

 本書の問い、「人生でなにをすべきか」という問いによって、いかに自分のことを知らないか思い知らされた。


Q・次の2つから生きたい人生を選びなさい ― ハーバードの人生を変える授業II「勇気」の科学 〜一歩踏み出すための集中講義〜「このままでいいのか」と迷う君の 明日を変える働き方「働く居場所」の作り方‐あなたのキャリア相談室キャリア・サバイバル―職務と役割の戦略的プラニング (Career Anchors and Career Survival)


11 30
2014

書評 労働・フリーター・ニート

真摯に自己に問いかける――『おとなの進路教室。』 山田 ズーニー

4309411436おとなの進路教室。 (河出文庫)
山田 ズーニー
河出書房新社 2012-04-05

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 自分の人生はこのままでいいのか。自分のやりたいことはなにか。ほんとうに自分に合った仕事はなんなのか。そういった進路の迷いには好著の一冊。

 ものすごく心の深部に響いてくる言葉もあるし、著者の人生行路のうえの問いかけだから同じ経験をしたことのない読者にはとどかない部分もあるかもしれない、またこちら側の自分にたいする深い問いかけをなさなかったら読み込みもできない書であると思った。著者自身の自分にたいする真摯な問いかけがあるからこそひびいてくる書であって、もし読者自身の自分にたいする問いかけがなければ共振することもない部分もあるだろう。自分が試される一冊。

 著者は編集の仕事を16年やり、そのあと思ってもみなかった自身が執筆や講演をおこなう独立の道をえらび、そのためにひじょうに真摯な問いかけをもって、人生の進路についての言葉をひねりだしている。まさしく「ひねりだしている」のであって、適当に進路を決めている人間には浮かびもしない考察である。

 やりたいことは自分の中にあると思っていたと著者はいうが、独立後の仕事は自分が思ってもみなかった人とのつながりのなかで引き出され、導かれた経験から、やりたいことは人とのつながりのなかにあると思うようになる。

 やりたいことは未来、未来はだれも経験はないし、スキルもない。失敗する日々。しかし希望がある日々。できることだけやっていても、希望・やりたいことにつながらない。

 やりたいことがないからダメだ、就職に積極的になれないは放漫だという。会社は自己実現の場ではない。自分には決められないならそれを受け入れて、生計を立ててゆく上で見えてくるものもある。

「いまから外に出て、五千円稼いできてください」といわれれば、どうやって稼ぐか。「五千円分、勉強してきてください」といわれれば、ずいぶん楽だろう。お金というのは、「ひとりの人間を歓ばすか、役に立つ」ことではじめてもらえる。ひとりの人間を「お金を払いたい」と思わせる域まで歓ばすことがあなたはできますか? 会社に勤めるということは初日からそういった労働の価値を、勉強することではなくて、提供する勤めを背負うということだ。

 この本はいくつかのコラムが並んでいるが、いちばんの傑作は21章の「いつかより強くなって」だろう。いまの自分はダメだから、いつか稼いで、いつかもっと高い地位に立ってそれから…という人が多いのだが、友だちや恋人がもとめているのは、その「いつか」だろうか。強いアイテムで鎧を固めようとしない素の自分ではないのか。この章はひじょうにひびくものがあった。

 就職で落ちる人の文章は事実から意見へといっそくとび。好きだから→ここで働きたい。人の心を打つ文章はその理由を深く追究したものだ。自分が働きたい根拠をいかに深く掘り下げられるか。このねばり強さまで掘り下げられる問いをみずからに課しているか。

 表現することやステージに立つことは、自分が死ぬことだという。自分の思いを人前に出すことは、その思いの死だ。「自分と別の場所に投げ出されて、誰がどう思おうが関与できないということはある意味、死だと思います」。人前に出るということは他人の思惑の推測をいっさい放棄してしまうことなんだなと。

 この本は「真摯に問いかける」という言葉がぴったりくる本だと思う。自分の生き方や進路について、自分はこれほどまでの真摯に、深く掘り下げ、問いつめたことがあるだろうか。そういった適当さ、浅はかさがうきぼりになる書であると思った。


「働きたくない」というあなたへ伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)自分を表現して生きる―進路を見つけキャリアを育て手ごたえのある人生をおくる「ホントにやりたいこと、見つかった?」ハーバードの自分を知る技術 悩めるエリートたちの人生戦略ロードマップ


11 27
2014

書評 労働・フリーター・ニート

百円本なら――『天職の見つけ方』 キャリナビ編集部



 職業を見つけるのはむずかしい。学生のときは企業や職業のことをまったく見れないわけだし、父や母がどのような仕事をしているのかもよく知らなかったりする。大企業や世間体のいい仕事で決めたり、世間一般のカッコよさの基準で決めたりする。

 職業世界に入っていっても自分の好きな、価値のある仕事をずっとできるわけでもないし、自分にあっていない、もっと自分にあった仕事、やりがいのある仕事があるはずだとずっと迷いつづけたりする。やりたい仕事があっても競争率が高かったり経験がなかったりして手が届かなかったりする。またやりたいからといって、自分に向いている、できるとは限らない。

 自分はほんとうはなにをやりたいのか、どんなことに価値をおくのかといった自問は、ずっとつづくのだと思う。また年をとれば好みややりたいことが変わったりして自分の嗜好や価値も不変ではない。天職や自分の一生の仕事にめぐり合うことは、自分を問いつめること、自分をところん知ることなんでしょうね。

 この本は市井のいっぱんの人の19人の職業選択についてのインタビューを収録したものだが、まあたいして役に立つ本ではないだろう。選択のことより、ほかの仕事の話についておもしろいことが聞けたりするていどだ。ブックオフの百円で読めるならといった本だろう。

 組織というのはある日とつぜん人事の裁量で自分の希望外に異動させられることもある。またポジションは上の人が指名したり承認したりされて決められるものだ。自分の選択や裁量で決められるものが少なかったりする。天に任せるしかないといったところだ。ヨーロッパでは自分からいわないとなにも変えてもらえないといったこともあるようだ。

 ある舞台監督は世の中は凡人がベースになっていて、自分を凡人だと認めたくないから人の悪口ばかりいっているが、自分が進むだけで変わることがあるとアドバイスしている。

 ある音楽教師は指導するだけならその子にはなにも残らず、成長することもないといっている。自分からこうなりたいと思うようになると自分から探す、調べるという行為をおこなうようになる。こういう自分から探すようになることが進路にとってもたいせつなことなんでしょうね。

 まあ、この本から天職の探し方を見つけるのはむづかしいかもしれない。


ザ・ミッション 人生の目的の見つけ方ほんものの自分にチャレンジ―価値観の明確化ずっとやりたかったことを、やりなさい。「これだ!」と思える仕事に出会うには仕事はどれも同じ 「今やっている仕事」を「やりたい仕事」にする方法



11 19
2014

書評 労働・フリーター・ニート

どうすれば自分らしく働けるか――『人生後半を面白く働くための本』 小川 俊一

4532191327人生後半を面白く働くための本 (日経ビジネス人文庫)
小川 俊一
日本経済新聞社 2002-06

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 「仕事がおもしろくない」、「自分らしく生きていない」といった悩みをもつ方にはひとつのヒントをもたらす本。

 内発力をいかにひきだし、合わせてゆくかということになるか。

 仕事は外から注文されるもの、外発力になってなされるもので、「人のため」「他人の求めに応じて」「相手の役に立つ」という外からの求めに応じて自分の能力を提供して、注文主の望む結果を出そうとすることである。対して、自分の好きなこと、おもしろいことは内発力によってなされることで自分の満足をひきだそうとすることである。

 人は仕事や注文の求めに応じて、自分を殺して、求められることだけに合わせる。そのうちに「自分らしくない自分」「自分ではない自分」といった人生に慣れて、自分らしさ、自分がほんとうにしたいことを忘れていってしまう。もしくは織りのようにたまってゆく。

 その自分らしさ、自分のやりたかったことをどうやって世の中に合わせてゆくかということが、この研修講師やコンサルタントとして50代で独立した人の経歴を語りながら、披露されてゆく。いや、この人自分の好きなことをやる経歴にめぐまれすぎていたんだけど。。とため息つきたくなるのだけど、それはさておき。

 著者の経歴は映画のコピーライター、市場会社で雑誌の編集、繊維会社で宣伝部、営業、調査研究所、財界の広報センターといったクリエイティブな職場をわたってゆく。そして54歳にて研修や教育の講師として独立する。そのなかで人の求めに応じること、自分の好きなこと、やりたいことが煮詰められてゆく。

 好きなことがあって能力があれば、仕事として求められ、求められることによって能力がもっと上達してゆく。そういったサイクルの好循環がはたらけばいい。

 でも若いときにはわからず、あとになって向きや好き嫌い、適合が見えてくることもある。長くやってみないと見えてこないこともあるのだ。向いていると思っていても向いていなかったこともある。向いていなかったと思っていたのに、向いていたばあいもある。人は自分のことをなかなか知りえないのである。

 いちばん最悪なのは、仕事は「やらされるもの」「強制」されるものと思い込んで、いやいややりつづけることだろう。でもこれがお金のため、生活のために働かざるを得ないおおぜいの人の現実というものだろう。おもしろさとか自分らしさにこだわったら生きてゆけないといった隘路が待ちかまえているかもしれない。著者の来歴はあまりにもめぐまれている。

 「やらされている」なかでも、だれにも侵されない自分の領域をつくってしまう、これをゲームだと思ってしまうといったやり方もある。いやいやなら奴隷労働だし、自発的にたのしめばゲームだ。これはわたしも感じるところで、自己裁量の多さ・少なさが仕事のやりやすさとか充実・不満にかかわっていると思う。

 自分らしい仕事をする、自分の好きな人生を生きる、ってことはそうかんたんにはつかめない。求められること、必要とされることが自分だと思い、自分そのものだと思い込みつづける人だっているだろう。わたしなんて自分の好きなことの職につけたこともなくて、能力がなかったり向いてなかったりして身銭のためにいやな仕事ばかりしている感にひたすら耐えているだけである。解放されたい。


このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?仕事がつまらない君へ仕事は楽しいかね?仕事に幸せを感じる働き方心が喜ぶ働き方を見つけよう

10 26
2013

書評 労働・フリーター・ニート

84年を基点とした労働論――『スクリーン労働論』 佐藤 忠男

0804.jpgスクリーン労働論
―映画にみる働くことの思想 (1984年)

佐藤 忠男
凱風社 1984-04

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 労働について深く考えた本ってそうなかったと思う。とくに80年代、90年代にはそうだった。いまは非正規問題やブラック企業でいっけん労働関係の本はふえたけど、本質的な問題を考えているわけではない。

 労働については誇りややりがい、または体裁、苦悩や退屈、逃走を考えたらいいのだろうか。90年ころに社会にふらふらとさまよい出したわたしはなんでこんなに労働について考えた本はないのだろうと思ったけど、ひきこもりやフリーター、ニートの問題はこのころからはじまっており、しっかり考えるべき時代に考えなかったツケがきているのだと思う。

 そのころは新卒就職がうまくいっていて、若者は労働についてさして悩んだり考えたりせずにエスカレーター式に仕事や会社にはこばれたために、問いかけを忘れていたのだと思う。あるいは「疑問をもったらおしまいだ」と封じていたのかもしれない。いまは新卒エスカレーターが非正規などで機能せずに、考えざるをえない時代に追い込まれたのだけど。

 そういうころの84年にこういう映画の労働論が出ていたなんて知らなくて、古本屋でしかもう手に入らないだろうこの本を思わず手にとった。

 もうほとんど見られることのない映画がおおくとりあげられていて、古くは1930年代の小津安二郎の映画ころからとりあげられている。映画って古い映画が見られることはなくて、むかしをまったくかえりみられない風潮やメディアってなんだろうと思う。新しいものしか消費されない傾向に映画も収まったままでいいいのだろうか。いまの問題もむかしも同じようにあったと知ることは、先進性や新しさを誇る現代のこっけいさを見せるね。

 この本を読んでいると80年ころの労働や社会の情勢がどう捉えられていたか、展望をみることができるね。ソ連や中国の文革などがとりあげられるあたり、社会主義の労働観もつよく日本に影響をあたえていたことがわかる。

 中国の文革なんて知識人を地方の農村に下放して、労働者が国をつかさどるべきだという思想があってそれが過激化されたのだけど、肉体労働者の侮蔑と知識労働の崇拝というヒエラルキーという土壌がつよくあってこその思想だとわかるね。ナチスも同じような思想をもっていて、知識人や商人のおおいユダヤ人迫害に結びついて、いかに労働者に誇りがもてなかったかと推測できるね。

 サラリーマンものの映画がよくつくられた時期があり、昭和初期の不景気の時代からだという。小津安二郎はそのころの名監督。「会社員生活」「東京の合唱」「生まれてみたけど」などは不景気でクビをおそれて上司にぺこぺこ、クビになっても家族にいえないというサラリーマンの「小市民映画」とよばれるものがよくつくられたそうだ。

 戦後は源氏鶏太原作の「三等重役」ものがたてつづけにつくられた。会社の一家団らんをえがいたその一群は高度成長期の60年代に栄えただけだった。

 80年ころには十数年、明治の再評価がテレビや大衆文学でされていたといわれている。明治の元勲、財界人の志の高さや努力を賞賛するもので、司馬遼太郎とかをさしているのだろうか。でも著者は軍拡にもちいた外貨は明治の女工哀史とよばれる繊維女工たちが稼いだもので、もっとよい目的で使えたはずが、明治の元勲たちが外国を侵略するためのカネに使ってしまったと批判している。

 この本で衝撃だったのは、織田作之助原作の『わが町』が紹介されていることで、この一事でほかのことがいっさいかすんでしまった。

 フィリピンの過酷な出稼ぎ労働を誇りにする大阪下町の男が、妻や娘夫婦をそのことによって死なせ、孫娘夫婦も同じ目にあわせようとするのだが、こんどは反撃に会って、思い出の南十字星をプラネタリウムで見ながら死んでいってしまうという物語である。

 舞台は日露戦争の凱旋帰国にこの男が帰ってきてまちがわれるところからはじまっており、この男はおおくの国民や労働者を犠牲にしてきた日本帝国の告発に重ねられることがよくわかるようになっている。

 わたしが日本の過重な労働社会にたいする憤りがまさにこの映画のメッセージにえがかれていると思った。戦争批判のかわりに難工事というすりかえをもってきたために、現代の経済主義への批判にもかさなる内容になっているのである。激賞するのだが、織田作之助は『夫婦善哉』はよくドラマ化されるのだが、この秀作『わが町』も忘れられてはならないと思う。

 国家の誇りや勢力のために労働者は犠牲にされている。国家が強国になるためにこの国の過重な労働主義はまだ時代をおおっていると思うのである。労働者はその規制や縛りを解除することができずに、過労死やニートという問題をはらみながら、この国は衰退に向かっている。問題の原点はここだと思うのである。


▼この本も70年ころの労働論の秀作だね。
CIMG000311.jpg生きがいの周辺 (文春文庫 189-2)
加藤 秀俊
文藝春秋 1976-09

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▼わたしの書評
40年前もいまも変わらない職業と自尊心の問題―『生きがいの周辺』 加藤 秀俊

05 22
2013

書評 労働・フリーター・ニート

他人の頭の中のわたしが、わたしの死をふせいでくれる?―『働くことがイヤな人のための本』 中島 義道

4532195306働くことがイヤな人のための本(日経ビジネス人文庫)
中島 義道
日本経済新聞出版社 2010-02-02

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 2001年に出たときちょっとしたベストセラーとなったのだが、読まなかった。たぶん自分の好きな哲学の教授になっている人に単調で単純な仕事の苦しみなどわからないだろうと思ったのだろうか。

 キレイごととかタテマエの奨励なんてまちがってもいわない中島義道のことだから、ネガティブな仕事観をつきつめてくれるね。

 ちょっとひきこもり状態になっていたことやふつうの会社面接の話とか、予備校講師時代の話とか、こういう寄り道や哲学教授でないころの話も聞けて、この経験から中島義道はこういう仕事がイヤな人のためにアドバイスできると思ったのだろうね。

 でも大学の教授になって本も出している「成功者」なのだから、ちまたのふつうの仕事へのアドバイスが妥当なのかという反感はやっぱりあるね。

 この本は5章までが序章のようなものかもしれないね。

「彼(女)が世間的にはなんの価値ある仕事もなしとげなかったからこそ、そしてみずからそれを痛いほど知っているからこそ、その人がただ生きてきたことが光を放ってくる。彼(女)は、死ぬさいに「俺(私)はこれをなしとげた」と自他に語って満足することはない。彼(女)は何もなしとげなかった。だから、自分の人生を世間的な仕事と重ね合わすことなく、剥き出しのまま受けとめることができるのだ。

世間的な仕事において何もなしとげなかったからこそ、死ぬ間ぎわに「俺(私)の人生は何だったのか」と真剣に問いつづけることができるのだ」



 逆説的なことをいうのだが、中島義道は社会的価値とはなんだろうか、人はなぜ社会的価値をめざすのかということのひとつの解答をもちだす。

「仕事に成功した人ほど、その仕事に過分の価値を置いてしまう。

…それは、仕事によって死を幾分でも克服できるという錯覚だ。自分が死んでも、みんなから愛されているこの映画作品は残る。自分が死んでも、自分が孤軍奮戦して守ったこの緑の山は残る……という錯覚さ。

たしかに自分の仕事は自分の死後数百年はもつかもしれない。

…しかし、それが何だろう? 宇宙論的時間のうちに置いてみるとき、いかなる仕事でも、自分の死後ほんのちょっとのあいだ長生きするだけなのだ」



 マルクス・アウレーリウスもいっているね。

「死後の名声について胸をときめかす人間はつぎのことを考えないのだ。すなわち彼をおぼえている人間各々もまた彼自身も間もなく死んでしまい、ついでその後継者も死んで行き、燃え上がっては消え行く松明のごとく彼に関する記憶がつぎからつぎへと手渡され、ついにはその記憶全体が消滅してしまうことを」



 人は勘違いしてしまうのだろうね、死後の名声や名前が残れば、わたしが死んでもわたしは生き残ってゆくといった思いをもつようになる。だけど死んでしまえば、わたしはその後のいっさいを知ることはできないし、もうわたしは消滅してしまうのである。

 無や死してしまう恐怖を避ける方法として、人は死後の名声や名前を残すことによって、その無や消滅を避け得ると思ってしまうのだろうな。だけどもう消滅してしまったわたしにはいっさいあずかり知らぬことだ。

 社会的価値を得るというのはこういう無や死してしまう「わたし」をその消滅から救い出してくれるなにかだと思わしめてしまう関連の近いところにあるのかもしれないね。

 中島義道は死してしまう人生の意味と恐怖に生涯こだわりつづけた哲学者なのだが、そういう死の恐怖から解放されるには、生を無価値だと思うことが救いだと気づくようになる。死が怖いのはこの人生に価値があると思うからであり、「生きていること」に価値があると思うからである。逆説的に人生や生を無価値に思えば、死も不安にならない。

 社会的価値を盲目にわたしたちが求めてしまうのは、この無や死してしまう存在であるわたしたちが、その消滅をふせぎたい気もちと通じるものがあるのかもしれない。そして死後の名前がそうであるように、わたしたちはもう「存在していない」のである。あるいはそれはたんなる「想像上の気休め」としかいいようがないものかもしれない。

 社会的価値のある仕事ってこの死の恐怖に立ち上げられる無からの逃走が根底にあるのかもしれないね。そしてその価値も死後の生のように「むなしい」ものなのである。

「倫理学の試験問題において力強い言葉によって試験官をうならせたとしても、彼(女)はただよく生きることについてよく書けただけであって、わずかでもよく生きたのではない。逆に、いかに言葉でうまく語れなくとも、いかなる倫理学の教授たちよりもよく生きた人、よく生きている人はいると思うよ。

 こうした転回を経ると、仕事の成果においては二流でも三流でもいっこうにかまわないことになる。それは、よく生きるという第一目標を実現する手段にすぎないのだから。一流の仕事をした人がよりよく生きることを実現しているのではない。

…一流の仕事とよく生きることとはまったく関係のないことだ。レオナルド・ダ・ヴィンチや紫式部がよく生きたわけではない」



 社会的価値とよく生きることをべつのものとして捉えるわけだね。人は社会的価値によりよい人生を描いて見てしまうのだが、よりよく生きることは社会的価値によって証明されるのではない。

「ただ何かしたいことを自分のうちで確認できれば、そしてそれが本物であれば、しかもそれを続けられる場が与えられれば、その人は幸せだということだ。

生活はどうにかなる。いや、その場があるからこそ、新聞配達員もガードマンもNHKの集金員もそれほど苦にならない。その場があるからこそ、社会的に下積みの地位に甘んじていても、彼らは自信をもっている」




 「社会的価値=死後の恐怖=死後の名声」という一連の連関を見させてくれる中島義道の指摘は、なぜ社会的価値をもとめてしまうのかという問いと解答をうかびあがらせるね。

 人に名前をおぼえてもらうことによって「自己の価値をうかびあがらせたい=死後の生を手に入れたい」というわたしたちの恐れがあるのだろうね。でもわたしが死んでしまったらそんな名前はもはや意識のないわたしにはあずかり知らぬことだ。

 「自我」は「想像上」のわたしは、そうやって自己が消滅してしまうことをふせごうとするのだろうね。そしてそんなものはもともとなかったのだ、つぎつぎとは浮かんでは消える「思考」や「思い」の妄想でしかないのである。

 他人の頭の中にわたしが思い浮かべられることが、わたしの「価値」を保証するという思い込み・錯覚にわたしたちは捉われているのだろうね。そしてそれは死後の生が不可能であるように、現在においても不可能や錯覚ではないだろうか。まいったねw

 仕事論の本だと思っていたら、自我論になったね。これはグルジェフとか神秘思想の自我論なんだよね。


▼想像上の自我論はこの本をおいてないと思いますが、仕事論からここまできてしまったね。
4795223661グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門
ハリー ベンジャミン Harry Benjamin
コスモスライブラリー 2000-09

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4101467307人生に生きる価値はない (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2011-09-28

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4003361016自省録 (岩波文庫)
マルクスアウレーリウス
岩波書店 2007-02-16

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うえしん

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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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