考えるための書評集


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『「豊かさ」の貧困』 ポール・L・ワクテル
2010/10/20 12:18

「豊かさ」の貧困―消費社会を超えて「豊かさ」の貧困―消費社会を超えて
(1985/12)
ポール・L・ワクテル

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 再読本である。83年発売の本だが、気になる問題が多くふくまれていたので再読の必要性を感じていた本。のちに経済成長に疑問をつきつける本もたくさん出ていたのだが、ワクテルの本に多く書かれている気がして読む気が少なくなった。あるいはメシを食うためにそんな疑問を出しても仕方がないと思うようになったからか。

 ポール・ワクテルは心理学者。心理学から経済や豊かさの貧困や病理について問うた。ワクテルいわく「現代社会の病は、心理学の問題を経済学で解決しようとするところから生じている」

「物質的には1950年代後期とは比較にならないほど高い水準にありながら、もはやアメリカが「豊かな社会」であるとも、アメリカ人が「持てる民」とも感じられない」

「世界の大多数の人々にとってそれは恐ろしいほどの贅沢なのに、アメリカ人はとくに興奮するでも感激するでもない。ひたすら、その水準をどれだけ上回れるかに関心をもつのみである」

「われわれは金を使って何かを手に入れても、そのためにほかの人より得をすることはなく、ただ取り残されないでいるだけのことが多い」

「結局、経済成長で公平を買うことはできないのである」

「「たいへん幸福である」と回答したアメリカ人の割合は1957年が最高で、その後二十年、経済学者の測定では「生活水準」が概して上昇しつづけたはずなのに、アメリカ人の主観的幸福は一度も1957年を超えることがなかった」

「アメリカ人の来世はショッピング・センターにある。彼の勤勉はそこで報いられるのである」

「神経症という概念の中心は悪循環である。安心を得ようと努力すればするほど、その努力によってかえって安心が損なわれていく。…その不安を静めるためにわれわれのとる行動が、実は不安をいっそう大きくする結果にしかならない」

「自分を確かに包んでくれる共同体が失われ、自分の孤独ともろさを思い知らされたとき、われわれはそれを所有で埋め合わせようとするのである。…われわれは力と膨張感にあふれ、自分の小ささとまわりの危険を忘れることができる」

「「より多く」に飢えることが現代の道徳的規範なのである」

「自己の成長といい心理的な成長といっても、それは所詮「成長」にとりつかれたこの社会の一つの現れ方にすぎないのではないだろうか」

「マスローによれば、安全、帰属、愛情、尊敬に対する欲求は低次の欲求、すなわち「欠乏的欲求」であり、環境に大きく依存する関係を生じさせる。…人間的欲求を「高次」と「低次」に分け、帰属や愛情への欲求を単なる「欠乏的欲求」であるとする見方は、明らかに非社会的倫理を助長するものだろう」

「老人に貧困体験を尋ねるとき、苦しみのなかで最大の慰めは良質の人間関係だったという答えが返ってくるのは、重い事実である」

「労働力の一部だけで間に合う社会にどう生きるか」

 27年前に書かれた本であるが、豊かさや社会の目的についてのワクテルの問いはこんにちでもまだ解決しない問題なのだと思う。わたしたちは豊かさやもっとたくさんの物質消費に向かってなにを求めるというのだろうか。

 物質消費の豊かさでない社会を求めるべきだと思うのだが、経済成長や好景気でないとわれわれの生活の糧が得られない貨幣・社会システムにあるのも事実である。懐疑がすばらしいとしても、それで自分のメシが食えないとしたらそんな疑問は自分の足を自分で蹴っているようなものである。豊かな社会というのは貨幣や分配のシステム自体問わなければならないのかもしれない。

 バブル崩壊以後、非正規問題や格差問題が社会の前面にのぼることが多くなったが、豊かさの目的という問いはずっと突きつけられるべきなのだろう。物質消費や豊かさはわたしたちの最優先のゴールなのか。これが人生の目標であり、人生のすべてであってよいものだろうか。不況でかき消された問題の下にこの大切な問いはずっと眠っているのではないだろうか。


関連文献
経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)経済成長神話からの脱却経済成長という病 (講談社現代新書)「豊かさ」の誕生―成長と発展の文明史経済成長なき社会発展は可能か?――〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学

何のための豊かさ (現代論集 2)
リースマン

カテゴリ:書評 社会学

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