考えるための書評集 モバイル版


::: 記事の内容 :::

≪前へ | 次へ≫


他人や出来事の犠牲者にならないための「思考のフィルター」 *[image]
2010/10/18-Mon18:31

 意外に人は「思考のフィルター」という存在を知らないのではないかと先ほどのツイート、引用をまとめました。

 この思考のフィルターを知らないと感情は他人や出来事から直接やってきて、それらを改善や変更しないとわたしの安らぎはやってこないと思い込みますが、それによって苦しみや憎しみはずっとつづくことになります。

 思考のフィルターの存在に気づくとそれを判断し、怒りや悲しみに色づけしていたのは自分の思考や判断というフィルターだけだと気づきます。このフィルターの変更により、自分の安らぎを手に入れられると気づきます。外界や他人が変わらずとも平安がもたらされる知恵とツールを手に入れることになります。ぜひこのツールを手に入れてください。

*


そうか。ふつうの人にとって感情は外界のだれかや物事から直接もたらされるものと思っているのか。思考のフィルターや考え方というクッションが感情をもたらしていることに気づかない。たしかにウェイン・ダイアーやジャンポルスキーの本を読むまで私も気づかなかった。エピクテトスやアウレーリウス。

思考のフィルターの存在に気づかないと感情の責任は外界にあり、わたしの感情は外界や物事を変えないと癒せないと思い込む。しかし思考のフィルターを変えれば、なにも思い悩むことをないといったのはエピクテトスやマルクス・アウレーリウスだ。仏教もその考えにならう、というかいっしょだ。

思考のフィルターの存在を抹殺したのが近代の物質科学だ。問題は外界にあり、外界を直さないとわたしは癒されないと考える。問題は自分の思考のフィルターにあると考えると外界の変更や改善をなさないで、ひたすら自己の思考フィルターの変更で自分を癒そうとする。物質科学は目の仇にするだろうな。

思考のフィルターの存在を認めないと外界の犠牲者になりつづける。あいつがひどいことをしたから、あれが気に食わないといって、私の感情はずっと外界や他人の犠牲者になりつづける。外界や他者から自立できない。フィルターを変えれば風はやむのに。

わたしは外界や他者を変えないと安寧はやってこないと考える。なるほどいつまでたっても、安寧はやってこず、物質科学と物質消費は進歩しつづけるわけだ。思考のフィルターの存在は近代物質主義のテキだ。そして外界と関係ない自律したわたしの安寧はもたらされない。


483795572Xどう生きるか、自分の人生!―実は、人生はこんなに簡単なもの
ウエイン・W. ダイアー Wayne W. Dyer
三笠書房 1999-09

by G-Tools

「あなたが自分の考えと現実が同一のものだという確信のもとに生活するなら、自分に課した倉庫いっぱいの苦悩を受け入れる羽目になる」 ウェイン・ダイアー

「現在起こっていることが現実に起こってはならないことだということによって、かっかとし、犠牲者になる。現実が違う姿であってほしいという願望のためにかっかとなればなるほど、神経症の鎖があなたの世界を固く縛りつけることになるのである」

「人間の頭の中以外にには、恐ろしいことはない。「恐ろしい」ことはこの世に存在しない。「恐ろしい」とはある人の解釈を表現したものにすぎない」

「あなたの考えがあなたのためだけに、それをいやなものにするのである」

「みじめになりたかったら、自分のことを考えてみたまえ」 ウェイン・ダイアー

「過ぎ去ったこと、どうしようもないことは、悲しんでもどうにもならないことである」 「なおらないものは気にすべきではない。やってしまったことは、やってしまったことだ」 シェークスピア


4003361016自省録 (岩波文庫)
マルクスアウレーリウス 神谷 美恵子
岩波書店 2007-02

by G-Tools

「「自分は損害を受けた」という意見を取り除くがよい。そうすればそういう感じも取り除かれてしまう。「自分は損害を受けた」という感じを取り除くとよい。そうすればその損害も取り除かれてしまう」 マルクス・アウレーリウス

「君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる」

「今日私はあらゆる煩労から抜け出した。というよりむしろあらゆる煩労を外へ放り出したのだ。なぜならそれは外部ではなく、内部に、私の主観の中にあったのである」

「すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。したがって君の意のままに主観を除去するがいい。するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江」 マルクス・アウレーリウス


4900550205愛と怖れ―愛は怖れをサバ折りにする。
ジェラルド・G. ジャンポルスキー 袰岩 ナオミ
ヴォイス 1990-06-01

by G-Tools

「外の世界に映るものは、すべて私の心の投影である。私はいつも、心を占める考えや気持ち、態度を外に反映している。なにを外に見たいか、自分の考えを変えることにより、世界は別の顔で立ち現れてくる」 ジェラルド・ジャンポルスキー

「まわりの世界をほんとうに変えることはできないし、ほかの人々を変えることもできない。しかし私たちは、世界やほかの人々への自分の見方を変えることができるし、自分自身のとらえ方も変えることができる」

「私たちの思考、発言、行動はブーメランのようになっていて、批判、激怒、攻撃的精神という形で判断を下すと、それは恐ろしい勢いで私たちのもとに返ってきます」

「外の世界に映るものすべてが、私の鏡。私の身の上にかかってくるかのように見えるすべての出来事は、実は私が求め、求めたとおりの体験をしているだけなのだ」 ジェラルド・ジャンポルスキー

*

引用終わり。わたしは考えと現実が同一でないことを理解するためにこれらの本を必死に読み漁った。現実とのあいだのクッションの思考を抽出するために理解はかんたんではなかった。外界はダイレクトにわたしを悲しませたり苦しめるのではない。考えというフィルターが自分を責め苛ますのだ。

ウェイン・ダイアー「どう生きるか自分の人生」、マルクス・アウレーリウス「自省録」、ジェラルド・ジャンポルスキー「愛と怖れ」。リチャード・カールソン「楽天主義セラピー」も役立った。もしかして岸田秀の共同幻想論を読んでいたのはこのことを理解するためだったのかもしれない。

外界や出来事はダイレクトにわたしを悲しませたり苦しませるのではない。考えや判断というフィルターがその感情をもたらすのだ。もしそのフィルターを知らないと人は外界や出来事を変えないと私の心は休まることはないと思い込む。自分の心を変えたり、捨てるだけで悲しみも苦しみも捨てられるのに。

ギリシャやローマではエピクテトスやアウレーリウスがそれらの説を唱え、おそらく仏教の瞑想や禅に流れ込んだ、あるいは逆でインド哲学の影響をうけたのかもしれない。近代社会になって思考のフィルターを忘れた。内界を変えるより外界を変えることに必死になっていたからだ。私は外界の犠牲者になった

思考のフィルターというのは色メガネのようなものである。言葉や思考という色メガネをかけているのに完全に忘れている、あるいは気づかない。世界に色はない。メガネをかけているから悲しみや苦しみの色がつく。そしてその色は自分で変えたり、無色にでもできるのだ。知らない人が多すぎる。






≪前へ | 次へ≫


コメントを見る(0)
コメントを書く
トラックバック(0)
BlogTOP

ログイン


Powered By FC2ブログ