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07 23
2014

右傾化再考

金融資本の独裁形態がファシズム――『日本ファシズム』 木下半冶

        nihonfasizumu.jpg 『日本ファシズム』 木下半冶 昭和11年


 近代デジタルライブラリーからダウンロードして読んだ昭和11年、1936年に出された本である。Kindleを買ったおかげで、ページの随所拡大がよういになって読みやすくなったので、これから近デジで無料の読書ばかりになるかもね。

 昭和11年といえば、二・二六事件がおこった年であり、その年にこんな『日本ファシズム』という本をまだ出せたのかとおどろくが、この二年前に出された河合栄治郎の『ファシズム批判』は×字の伏字ばかりであった。7月に出された本であるから、二・二六事件から五ヶ月あまりであり、とうじの生々しさの残る記述を見いだすことができる。

 本の内容としては、とうじ数々できた右翼団体の経緯や綱領をおもに載せており、血盟団事件や五・一五事件、二・二六事件の経緯も載せており、こんにち書店でそのような概括入門書を見いだせないゆえに近デジでこの本を読むにいたった。

 この木下半冶という人は1900年に生まれ、1989年に亡くなっているそう(wiki)。新聞記者の後、右翼思想や国家主義を研究した。ほぼ忘れ去られた人のようであるが、ソレルの『暴力論』などの翻訳をやっているね。

 この人ははっきりとファシズムは、独占資本主義が経済的危機をのりこえるさいの独裁的様相だといっているね。

 金融資本の独裁がファシズムなんだと。議会政治すら資本の独裁政治なのであるが、危機的状況にほうりこまれると議会政治などのん気な手段を使っているわけにはいかない。そこで非議会的、暴力的支配形態がファシズムというかたちで顔をのぞかせるのだと。

 経済的危機におちいると労働者や農民のかずかずの労働争議や社会主義運動がおこってくる。その抑圧や統制のためにファシズムという正体をのぞかせるのである。ふだんは議会政治の影に隠れているが、緊急危機のさいに労働者の不満や攻撃を抑える政治形態がファシズム。

 ファシズムは「戦時独裁体制」を思わせるのだが、民衆を弾圧する体制のことを、議会政治をへない金融権力の顕在化をいうのだね。

 戦前のからくりにしても、政府は左翼運動の弾圧ばかりに手を加えていたのであるが、その対立としての右翼運動は寛大に接してきたのであるが、血盟団事件によってその眠りを覚まされ、ファッショ団体の取り締まりに積極的になったという経緯がある。

 資本家も左翼運動の壊滅のために右翼団体にカネを流していたのだが、その様態や実質を知るにいたり、財布の口を閉めるようになり、いったんは雨後のたけのこのようにできた右翼団体は退潮に向かったとされる。

 けれども右翼団体にせよ、青年将校を擁する軍部にしろ、ずいぶん思想的には共産主義に近づいているところもあって、政府も金融資本家も、国民の大半を敵に回していた実情があったのではないかと思わせる。

 ある右翼団体の掲げる綱領に「反資本主義、反共産主義、反ファッショ」というのがあったが、このあいだの狭い道にどういう主義があったのだろうか。政府は金融資本に操られるような自由主義を護持していたのだろうが、労働運動や左翼活動、青年将校につきあげを喰らって、どこにも逃げ道を見いだせなかったように思われる。

 軍国主義や皇国戦争に向かっていった政府は、国民総改革のつきあげを喰らって、金融利益の海外進出、問題の海外逃亡を図らざるをえなかったともいえるだろうか。

 政府は二・二六事件に戒厳令をしき、日本のファシズム運動は表面上は沈静したかに見える。著者の木下半冶は昭和11年にこれから日本のファシズムは凋落の一途をたどるだろうかと問うている。否、否、否と著者はいっている。

 日本政治のファッショ化は必然である。従来のヒステリックなファシズムから、ほんらいのファシズムに移ってゆくだろうとのべてこの本を終えている。民衆の最悪の敵、もっとも恐ろしいものがやってくるだろうと。

 こういったむかしの本を読めば、その後の歴史を知っているわれわれの観点ではなくて、とうじのまだ来ない未来の展望に思い至ることができる。昭和11年にその後の道は不可避だったのだろうか。


日本ファシズム論争 ---大戦前夜の思想家たち (河出ブックス)未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)日本ファシズムとその時代―天皇制・軍部・戦争・民衆日本ファシズム論近代日本の文化とファシズム―竹山護夫著作集〈第5巻〉 (歴史学叢書)

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07 18
2014

右傾化再考

第二の国家目標の失敗者――『大川周明』 大塚 健洋

4062919362大川周明 ある復古革新主義者の思想 (講談社学術文庫)
大塚 健洋
講談社 2009-02-11

by G-Tools


 大川周明とはなに者だったのか。学者であり、宗教者であり、アジア主義者であり、社会運動家といろいろな顔をもつ。学者にいちばん近い感がするのだが、宗教者の根本もつよくもつようにも思われる。

 大川周明は明治19年、1886年に生まれており、明治の国家目標が達成された明治38年には19歳であった。つまり大川は成人ころに国家目標の達成に出会い、その後を国家目標喪失の「煩悶」の時代を生きなければならなかった求道者の青年ということができると思う。

 学生のころには社会主義にめざめ、その後失望をおぼえたあとには宗教的求道に走っている。かれは国家目標喪失の時代につぎなる生きがいや生きる道を探し求めた「自分探し」の青年だったといえる。それを個人のアイデンティティにもとめず、国家にゆだねたゆえにかれの人生と影響は甚大なものとならざるをえなかった。

「明治日本の理想は我が国を世界の強国たらしめることであり、それは日露戦争の勝利によって少なくとも外形だけは実現した。

しかし、そのためにこれまで張りつめていた国民精神は緩み、沈滞退廃の風潮がみなぎり始めた。これは明治の理想に代わる大正の新たな理想が、いまだ確立されていないことに原因がある。今日の急務は、国民を熱火の如く燃え立たせる雄渾なる理想を鼓吹することにある。

それは日本をアジアの指導者たらしめんとする理想の外にはない」



 この第二期の目標がその後の日本やアジアに多くの犠牲を払わせることになった。沈みかけた船を再浮上させようとした試みは由縁のないことではない。しかし一度沈みかけた船をもがいて再浮上させても、もう時期や情勢はいぜんと同じようなものではなく、水泡に帰する可能性が高いように思われる。失われた国家の自尊心をとりもどそうとして、破綻の方向に国家は導かれたのではなかったのか。

 大川は大正のころはアジアの解放者としてふるまったが、昭和期にはアジアの抑圧者・侵略者という顔になっていた。下からの解放者は、上からの抑圧者になっていたのである。大正期には西欧の愚を犯すまいと高らかな理想を語っているのだが。

「日本の世界征服を主張するものではない。或は、亜細亜統一を主張するものではない。かくの如きは、西欧民族の誤りを繰返すものに過ぎぬ。吾等の任務は、西欧民族に虐げられつつある国民を救済することで、決して西欧民族に代わって彼等を虐げることではない」



 しかし大川や日本はその西欧の二の舞をふんでいってしまうのである。理想は現実に抗われ、理想は現実に衝突し、現実を凌駕しようとして理想の押しつけや強制がおこなわれた。理想が当初から現実にはかなわないものではなかったのか。明治期や戦後昭和期の高度成長のような成功はかなわなかったのである。

 大川は西欧や白人の支配、強権からの解放を武力的な道にもとめたといえるが、戦後の経済発展がしめすようにそのような道をへなくても平和的経済成長によって欧米を凌駕することは可能であった。大川にはそのような道は見えなかったのだろうか。軍事的成功といった明治の夢をもう一度夢見たがゆえに、情勢が変わった時代に裏切られた、そう思わずにはいられない。

 国家目標が喪失したあとの転落は現代でもおなじように経験していることがらである。まるで現代は大正・昭和をへた精神や自尊心のありかたをそっくり踏襲しているかのようだ。現代の大川、国家の再興や復興をかかげた人物があらわれてきそうな状況はずっとつづいている。再興をかかげた人物とともに誤った道におちいる現代のシナリオを、大川周明の人生は語っているように思えるのである。


日本二千六百年史大川周明 アジア独立の夢 (平凡社新書)大川周明の大アジア主義復興亜細亜の諸問題 (中公文庫)

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07 14
2014

右傾化再考

大富豪が暗殺された大正10年の本――『黄金王の死』 米山隆夫

        ougonou.jpg  『黄金王の死』 米山隆夫


 大正10年(1921年)に一代で巨富を築いた安田財閥の当主・安田善次郎が暴漢によって暗殺された。その大正10年に出された本を近代デジタル・ライブラリーでダウンロードして、キンドルで読んだ。

 近デジは印刷ボタンで20コマずつダウンロードできる。キンドルは随意の場所で拡大ができるから、PCでの無骨な拡大しかできない機能とちがって、PDFの一ページずつの閲覧ができて、近デジ読書に最適。

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▲暗殺された大富豪・安田善次郎


 大正10年という年あたりは、橋川文三によると、「国家衰亡の危機」や「維新以来の未曾有の大騒擾」といった危機感が日本をおおっており、この大富豪の暗殺事件がその後の日本をかたちづくるターニング・ポイントになったようだ。

 大正6年、1917年にソ連革命がおこっており、日本でもその後、米騒動や戦後恐慌がおこり、格差や貧富の差といった不平等が問題になり、社会主義革命の気運がみなぎっていた。この革命気運を政府は徹底的に弾圧するのだが、そのことによって政府や軍部は誤った道にすすんでいってしまったのではないかと思う。

 その嚆矢となるのが、朝日平吾という世俗での成功を勝ちえなかった大陸浪人による安田財閥創始者の暗殺事件ではないだろうか。

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▲安田善次郎を刺殺してみずからも命を絶った朝日平吾


 この暗殺犯は、こんにちでいえば池田小学生殺傷事件や秋葉原事件に似ているといえないだろうか。自分の不遇や自殺衝動を、社会の無関係な人にぶちまけて自分の怨念や執念を晴らす。

 大正のような時代背景が違っておれば、社会主義のような不遇者の権利回復・社会革命の夢にかくれて、みずからの正当性を主張できた。だが、こんにちには革命思想もイデオロギーもない。ために衝動的で無目的な無差別事件をおこす。こんにち、それを説明する言葉は心理学的な用語しかもたないのである。

 この暗殺事件以降、おもに右翼思想家を中心に既成権力のトップたる政財界をねらった暗殺事件が頻発することになる。根底には格差や貧困の問題に手を打てない、野放しにしたままの政財界への怒りや怨みがあり、社会主義への革命の意志があった。それが軍部の青年将校などによって実行にうつされていった歴史が、その後の日本を決定づけていった。国内革命が海外戦争にずらされていったというのが、真相ではないだろうか。


 『黄金王の死』という本はその暗殺事件がおこったその年(大正10年)に出された。暗殺された大富豪がケチで社会還元をちっともなさず、みずからの財を貯めるだけの守銭奴・吝嗇家であるという非難がとうじの社会にあったことを伝えている。社会世情としても、大富豪にたいする風当たりはつよいものであったようである。金を使いきれないほど貯めても、死んでしまったらなんにもならないといった教訓もふくめている。

 遺体の引き取り人のなかなか見つからない朝日平吾の経歴もしらべあげられていて、大陸浪人や事業の失敗など不遇な人生の遍歴をたどっている。事業をもくろんでは渋沢などの富豪に金の無心をたのむといった行動をおこなっており、事件当初は安田にそれを断られたことによる衝動的事件だとも報じられた。朝日は死後の処理に何通かの遺書をしたためており、それはあたらない。

 朝日の葬儀は労働組合や支援者が盛大におこない、マスコミが英雄視したために37日後に原首相の暗殺をまねいたとwikiに書かれている。

 暗殺されても富豪は味方されず、とうじの社会主義革命あるいは平等化・富の公正分配を期待する世情があったということがこの本からうかがい知ることができるのではないだろうか。資本主義のひとり勝ち、格差や貧者の怨恨や憎悪が溜まりつづけていた時代だったということができるかもしれない。こんにちの世情といかに似ていることか。


 安田財閥は戦後GHQに解体を命じられたが、こんにちではみずほ銀行や安田生命保険、損害保険ジャパンなどとして残っている(wiki)

 オノ・ヨーコは安田善次郎のひ孫にあたることを知った(オノ・ヨーコって、一体何者?)。ジョン・レノンも暗殺されており、このつながりはなぜと思う。文中でも善次郎の墓前には衆議院議員・星亨を刺殺した犯人の墓があったとか。


朝日平吾の鬱屈 (双書Zero)銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む (新潮文庫)成り上がり 金融王・安田善次郎 (PHP文芸文庫)富の活動儲けすぎた男 小説・安田善次郎 (文春文庫)

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Author:うえしん
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