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05 04
2016

書評 労働・フリーター・ニート

閉塞はそんな次元の話か――『なぜ社員はやる気をなくしているのか』 柴田 昌治

4532195365なぜ社員はやる気をなくしているのか
(日経ビジネス人文庫)

柴田 昌治
日本経済新聞出版社 2010-03-02

by G-Tools


 やらされ感と自発性のテーマについて考えていたから、まさにその答えを提出してくれるような本として読んでいたが、後半の実践編あたりから、まるで雲をつかもような実感のない話になっていったので驚いた。

 問題の分析と、内発的動機や主体性をひきだせという主張はまったく共感できるところだ。

 しかし実践編になるといったいどこのなにを語っているのか、さっぱり手ざわりも実感もわいてこない話ばかりになって、このズレはなんだろうと思わずにはいられなかった。

 内発性や主体性をひきだす次元は、もはやそんな次元に問題があるのではない。仕事や企業が強制ややらされ感でやらされるいやいや仕事にしか思えないから、もはや内発性や主体性など考えることも、実感もわくこともない、そんなレベルにわたしや一般社会はなっていないだろうか。

 労働や企業に強制感しか抱かず、体力や人生をはく奪するものとしか思っていない。そこに内発や主体性、自分で考える力、問題を発見する能力といいだしても、まったくのれんに腕押しに思える。

 仕事って与えられて強制されて、やれなければならない課題やルーティンを考えることもなく、命令や指示通りにこなすもの。そういった強制的・機械的労働観をもったものに、内発性や主体性、考える力といっても実感すらもわかない。

 日本企業や日本人ってこれによってつぶれたのではないか。内部崩壊や衰退の要因は、そういった強制的・外発的にやらされることばかりおこなわれて、ちっとも自分から動くこと、情熱をもってとりくむことを忘れたのではないか。

 そもそも内発的動機が生まれる、育つ環境にすらなっていないのではないか。強制・命令的労働観によって、内発や主体性など生まれる余地もない労働界にいるのがいまの日本人ではないのか。

 そういう土壌に内発や主体性といっても、ペンペン草も生えないというやつだ。

 わたしは非正規界隈をうろうろしてきた人間だから、この本で語られる主体性や考える力の次元がまったく理解できないのかもしれない。それともほかの一般的人間もこの世界が理解できるのか、実感できるのかが、いまいちわからない。

 主体的に組織を変革、改革してゆくすがたがまるで雲をつかむ世界のように実感がない。

 具体例や改善策が少なく、一般的抽象的な話だから、理解しにくいのか。具体的にはトヨタのカイゼン運動のようなものを思い浮かべればいいのか。トヨタの社員はそんなに内発的に主体的に仕事に関わってきていたのだろうか。

 形式やかたちを重んじ、問題をないものと見なす日本組織の問題点提出はまったく共感するところだ。しかし実践編となるとまるで実感をともなわない世界の話になるのか、とまどいすぎた本でした。

 なんでこんなに雲をつかむような話なのか。


なぜ会社は変われないのか―危機突破の風土改革ドラマ (日経ビジネス人文庫)考え抜く社員を増やせ! ―大転換期の「対応力」を育てる法 (日経ビジネス人文庫)柴田昌治の変革する哲学 (日経ビジネス人文庫 ブルー し 5-6)どうすれば役所は変われるのか―スコラ式風土改革現場の「知恵」が働く チームイノベーション (スコラ式風土改革)

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05 02
2016

知識論

教えることが自発性を破壊する――『教えるな!』 戸田 忠雄

4140883510教えるな!
―できる子に育てる5つの極意 (NHK出版新書 351)

戸田 忠雄
NHK出版 2011-06-08

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 教えることはみずから学びたい意欲をつぶすことである。知りたいという飢餓状態があってはじめて、教える効果があがる。「自分を必要としないように教えるのが、よい先生」といっているように、教師は自分の役割を否定してこそ価値のある存在になる。

 外発と内発というテーマで本を探しているが、教えること、育てることにもそういうテーマはとうぜんかかわってきて、このような教育論の本も読んでみた。

 やる気を出させること、教えることが、本人から自発性、自主性を奪ってゆき、創造性を破壊してゆくパラドックスに思いを馳せないわけにはいかない。

 自発性、自主性を育てられない労働や教育はいずれその役割は失敗に終わる。すべて他人事であり、自分事でないそれは自己を疎外し、かたちだけの魂のない結果をもたらすだけである。

 学校が教えることにより、みんな学問が嫌いになり、活字本を読まなくなり、アニメやゲーム、お笑いに情熱を傾ける。強制することはいちばん学んでほしいことから人を嫌悪の感でそれらから去ることを行動づけるもののようである。ほんとうに学んでほしいことは、必要なら自分からとりにいくものではないのか。

 学校は社会や企業がその人の能力を測る「測定器」でしかないのだから、知識は本人から疎外されてゆき、受験が終われば忘れられる他人事の記号になり、本人の人生の役に立たない測定のための道具に終わる。強制された教育にもたらされた結果はそれでしかなかったのではないか。

 この本は教えるな!という割には、ラディカルな批判になっているわけではなくて、やはり予定調和な無難な教師らしい内容で止まっていると思う。やっぱり教師は教師らしい優等生のような器用な学びがいのある話はするのだが、魂には届かない気がする。

 偏りや歪み、マニアックからくる偏執的な執念がちっとも感じられない。教えられることに対する怨念的な批判がちっともない、あたりまえのことだけど。教師が書いた教えるな!という本にそれを期待するのがまちがっているのだけど。

 教えることの弊害や破壊をもっとラディカルに追究してもらいたいものだ。

「質問をしにくい雰囲気をつくるということは、学びにとってもっとも重要な行為、思考の根源にある「問うこと」を封じるということです。それは学びの自殺行為に等しい。自ら問いをもてない者は、何事にも疑問をもち自分で考えることはできないし、十分な読解力も身につきません」



 教えることはこの自発的な知識欲を破壊してゆくことだと思う。そしてお客さんのように答えだけを口を開けて待っているずっと待っている存在に変えてしまう。もう自ら学ぶことはしなくなる。

 教育がしたのはそういうことだったと思う。そもそも教育は生徒の能力の測定器だったので、知識を人生に活かす技能として教えられたわけではないのだろう。

 外発と内発というテーマで本を読んでいるが、強制がいかに知識や労働を破壊してゆくか。それを知ることにより、強制的な教育観や労働観で育ってきたわれわれがいかに自身を疎外してきたことかに気づく。そのことによってまた、つまらない、生き生きとしない社会を生み出し、人生を送らされてきたことか。

 強制された教育や労働は結果的につまらない活力のない社会を生み、どんどん衰退と退行を余儀なくさせられるのではないか。工業社会の強制的教育観、強制的労働観は、創造社会のハザマにおいて、どんどん悪弊になるのではないかと思う。


脱学校の社会 (現代社会科学叢書)上司は仕事を教えるな! (PHPビジネス新書)社員が自主的に育つスゴい仕組み独学のすすめ (ちくま文庫)独学の精神 (ちくま新書)

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04 29
2016

書評 労働・フリーター・ニート

がんばろうで日本沈む――『がんばると迷惑な人』 太田肇

4106105993がんばると迷惑な人 (新潮新書)
太田 肇
新潮社 2014-12-17

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 がんばることが迷惑になる時代になったことはどうやったら広く世間に伝わるのだろう?

「そこ(がんばりを評価する風土)には仕事の効率化と逆に力学が働きます。つまり仕事を効率化すると”がんばり”を示せなくなるので、ムダだとわかっていても効率化しません。それどころか逆に非効率なほうがトクなわけです」

「そもそも給料やボーナスに大きな差がつかないわが国の平等主義そのものが”がんばり病”をもたらしているという見方もできます。がんばっても給料が増えるわけではないのにがんばっているから「えらい」と評価され、さらには昇進や、昇進につながりやすい部署への異動といった形で報われるからです」



 バブル崩壊後の失われた二十五年といわれる日本の凋落の道は、こういうふうに用意されたのではないだろうか。

 工業社会のキャッチアップ型の経済成長のように、一致団結してひとつの目的に猪突猛進すれば成功するという時代ではなくなったのだ。それでもその時代のガンバリズム、成功体験で個人評価する組織が幅をきかせ、みんなで非効率なムダな努力、内輪ウケする努力だけに向かってしまう。

 機能性が必要な組織が「共同体化」してしまって、自己犠牲だけを測る組織に死に至る病に日本の企業はおかされてしまっているのである。

 それでも、「精一杯」だとか「全力」、「一丸」、「絆」といったガンバリズムのかけ声はあちこちからわき出る。シロアリみたいに日本社会の発展や進歩の土台を腐食するようなガンバリズムの言葉たち。

 がんばることの大いなる逆説、パラドックスというものが、日本人の多くの人には気づかれていないのである。

 日本企業の強制的な労働威力というのはとても強い。フリーターやニート、ひきこもりといったエスカレーター人生の乗れなかった人への風当たりも強い。ぎゃくにかつて強みだったそれが、みんなでがんばって乗り切ろう型の非効率なガンバリズムを生み出してしまう。

 脱工業社会というのは、工業社会で成功したものがことごとく逆になる、悪役になる時代だと認識を周知すべきなのだろう。

 工業社会の成功体験は、脱工業社会の成功を殺しにかかる。

 日本の労働システムや企業風土といったものはテコでも動かないような不動な硬直性をもっているように思われる。そういう中でシロアリのような昭和の成功体験やガンバリズムが、組織の機能性をどんどん食い殺しにかかっている。

 日本人の労働観や努力感が360度変わらなければならない時代の峠はとっくに超えていると思うのだが、いつまでもむかしの郷愁にしがみつく日本人。

 プロジェクトXではなくて、ガンバリズムの失敗例や弊害例をとことん啓蒙する広報活動が必要なのかもね。


日本人ビジネスマン 「見せかけの勤勉」の正体 なぜ成果主義は失敗したか組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのか (PHP文庫)日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?世界でいちばんやる気がないのは日本人――成果主義が破壊した「ジャパン・アズ・No.1」 (講談社+α新書)モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)

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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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