HOME
10 23
2014

右傾化再考

侮蔑はなぜ必要なのか?――『悪韓論』 室谷 克実

4106105160悪韓論 (新潮新書)
室谷 克実
新潮社 2013-04

by G-Tools


 書店にはダジャレでおちょくったような嫌韓本が山のようにならぶ。これはなんだということでお金をかけることすらもったいないと思う嫌韓本の一冊をブックオフで手に入れる。



 たくさん増えたはずの心理学者がこのような現象を分析する本だけを読みたいのだが、そういう本がまだ出ていないようでしかたなく嫌韓本を読むしかない。原因的にはなんなのだろう。経済大国凋落の補償か、韓流ブームへのコンプレックスなのか、相手国の反日思想の反感からなのか。

 本の内容はどれほど批判バイアスがかかった本なのか検証するほどの知識量がわたしにはないのだが、批判されることはそのまま日本へもとうぜん当てはまるブーメラン批判になるし、見下げる視点をもつ者はみずからの品性のなさと下劣さをさらすだけであると思う。

 批判は自分自身にいちばん当てはまることが多いので自身の下劣さにはね返ってくるし、だれかを見下し罵倒する人間が尊敬されたり品格を褒められることなどまずないと思うのだが、怒りに頭を燃やしている人間にはそれが見えない。

 ふしぎなことは対人個人では自己中や身勝手な人はまわりから批判されることがわかっているはずなのに、国家のことになるとなぜ自分勝手や自己利益に邁進することがはばかられることに思われないのかということである。貪欲と利己主義だけが国家に投影されるのはおかしな現象である。国家には他国や他人という関係がないのだろうか。

 高学歴競争や就職難、職業差別、自殺、売春など日本にも同じような病魔があるはずなのだが、韓国だけが批判される意味がわからない。他国を批判すれば、日本では問題が消滅して、問題が解決されるというのだろうか。批判すれば、とうぜん自国の問題にもはね返ってくる。なぜ自国を棚上げできると思うのだろうか。

 ウソつき大国、詐欺大国というあり方はさすがに異常に思えたが、このバイアスはどれほどかかっていて、冷静にはどの程度が事実なのかわからないのがこの本の欠点だ。

 韓国は「滅公奉私」で、もっとも大事なのは自分自身と家族、先祖と一族だと批判されているのだが、会社は「オーナーの私物」としか思っていないというあり方は批判されるべきものではなくて、「滅私奉公」で個人が滅ぼされる日本人にとってはうらやましい、学ぶべきものではないのか。

 基本的に批判したい、憎悪したいために書かれる本なんて正確さや客観性などまず信用も保証もされない本なので、冷静に疑わずに読むことができない。怒りや侮蔑に燃えるために読む本など、有益な情報などひとつもつかめないではないか。ものごとにはいい面もあるし、悪い面もある。善悪両方の面を冷静に見比べてどちらの傾向が強いかを見比べる視点をもたないと、そのことがらの良し悪しなど判断できない。一方的な視点の見方がいかに役立たないか。

 この本にはなぜ韓国をそんなに目の仇にするのかの理由を書いてくれていない。反日思想に激昂しているのか。それとも韓流文化や経済成長に嫉妬や劣等感をいだいているのか。あるいは民族的自尊心にすがるしか、もはや自尊心を満足させるものはないという自己の虚無感や劣等感がなせるものなのか。批判や蔑視はブーメランのように自分へと帰ってくるようにしか思えないのだが。

 すくなからずの人たちがこの嫌韓本のラッシュに日本人はこんなに下劣で品性のない国人だったのかと驚いていることだと思う。欧米との比較において劣等感から経済成長をめざした日本人はまだ謙虚で品性があった。いつからこのような侮蔑や罵倒で他国を貶めるような日本人が出現するようになったのだろう。

 ある程度の年齢のものなら違和感や不快感をいだく嫌韓本も、若い無垢な世代がこのようなシャワーをうけた十年、二十年後にどうなっているかということがもっと恐ろしいことではないだろうか。誇りある、名誉ある日本というのは、それをもち上げれば上げるほど、このような下劣な人間性も芽ばえてくるものではないのか。


▼岩波や中公の新書や学術書を読まないと韓国の実情なんて判断できないね。
先進国・韓国の憂鬱 (中公新書 2262)戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで (岩波現代全書)徹底検証 韓国論の通説・俗説 日韓対立の感情vs.論理 (中公新書ラクレ)近代朝鮮と日本 (岩波新書)女たちの韓流――韓国ドラマを読み解く (岩波新書)


関連記事
10 22
2014

右傾化再考

日本の膨張的自尊心が国際平和を壊してしまうことについて

 日本の自画自賛本が花盛りである。嫌韓嫌中本も山のように出ている。戦後の自虐史観を批判する本も力を増してきている。謙遜や謙虚を美徳とした品性のある日本人の風格は風前のともしびである。


アジアが今あるのは日本のお陰です―スリランカの人々が語る歴史に於ける日本の役割 (シリーズ日本人の誇り)日本はなぜアジアの国々から愛されるのかだから日本は世界から尊敬される (小学館新書)日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)日本人だけが知らない 世界から絶賛される日本人


 これは経済大国の自負心が凋落してしまって、ふさぎがたい劣等感を糊塗しようとする切ない日本人の衝動であるのが丸わかりなのだが、劣等感の補償にとり憑かれた人にはみずからの無様さはあまり見えないようである。

 この自己礼賛心がポジティブなものに転嫁して、成長や向上に結びつくのなら、自画自尊はおおいにけっこうだろう。高い自尊心が現実の成果をもたらすのなら、批判されるいわれはないものだろう。しかし他国を蔑視することで保たれる自尊心などおおよそ日本の誇りとほど遠いものであるし、現実になんら業績も結果もない空自慢ばかりするのなら、だれにも信頼されることはないというものだろう。

 問題は日本の膨張的自尊心というものが侵略をうけた他国にとって過去の脅威の復活に思われることだろうし、民族的自尊心というのは、どうも戦後の国際平和主義の重しや結び目になっているということだ。

 日本が謝罪や謙譲な態度をとりつづけることが戦後平和体制の礎になっており、日本の膨張的自尊心はその氷面をつき破ってしまうバーターである関係が、戦後体制をかたちづくっているように見える。日本が謙遜であるかぎり、国際社会は平和であるという体制こそが戦後の国際体制なのではないか。

 日本の民族主義的勃興は、どうもドイツのナチズムと共通する国際社会のタブーであるようで、戦後国際社会はそれらの戦争犯罪がどれほどひどいものであったかという認識を共通することによって、戦後平和体制が維持されているようなところがあるようだ。だから日本の右傾化事象の中にたまにナチズム的関連の事柄が混じってくるし、欧米諸国の警戒心は、ナチズムのみではなく、日本の民族主義的勃興の動きも注視している。

 つまり日本の膨張的自尊心や民族主義的勃興は、戦後の国際平和体制をうち破ってしまう過去の災厄の封印魔所なのである。

 日本の民族的自尊心というのは一国の国内問題だけではなくて、国際平和体制を崩壊させてしまう蝶番なのである。戦後の国際平和はそれが外れることによってばらばらにほどけてしまい、だから国際社会は日本の自尊心に警戒している。

 戦後の国家はどこも自国内の民族的自尊心の勃興には警戒していることだろう。それが他国との紛争や障害に結びつく過去を経験しているからだろう。日本やドイツには過去の範例があるいじょう、よその国より警戒度が高く、国際平和の結び目になっている象徴ともいえる。

 国際社会が警戒しているのに、経済凋落にわれを忘れた日本人は民族的勃興を是が非でも達成したいかのようである。平和より一国の自尊心が大事だ、劣等感に押しつぶされるくらいなら他国や国際社会はどうなってもいいといった鼻息だ。

 日本は韓国や中国の謝罪やゆがんだ歴史観によって自尊心をめちゃくちゃにつぶされただとか、アメリカのGHQによって洗脳されただのといった歴史認識が花盛りなのだが、経済大国の自尊心に満ちあふれていたときにそんなことが問題視されただろうか。自尊心が凋落したのは、日本国内の経済事情によるものであって、他国が成敗を下したわけではないだろう。

 日本は国際平和の番人なのであって、卑屈な謙譲心によって自尊心を押しつぶされているわけではない。

 戦後の日本は自虐史観や欧米の劣等感のなかで、経済大国への成功を果たしたのであり、民族的自尊心の満足などなくとも成長と向上をもたらすことができた。謙虚であったり、不足を冷静に見ることができたからこそ可能であったことではないのか。

 自画自尊や他国蔑視に溺れる一国の自尊心をたてまつって、現実否認や楽観主義で、国家の成長や向上が見込めるだろうか。そのような自尊心は過去の迷妄や誤まった道に導いたのではないのか。高慢で放漫な目隠しのような自慢話をいっぱい集めて日本はどこに転がり落ちたいというのだろうか。


呆韓論 (産経セレクト)韓国人による恥韓論 (扶桑社新書)犯韓論 (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-4-1)マンガ嫌韓流中国・韓国を本気で見捨て始めた世界: 各国で急拡大する嫌中・嫌韓の実態 (一般書)


関連記事
10 20
2014

右傾化再考

文芸評論家はどうも――『昭和精神史』 桶谷 秀昭

4167242044昭和精神史 (文春文庫)
桶谷 秀昭
文藝春秋 1996-04

by G-Tools


 文庫で700ページにおよぶ大著を読みながら思ったのは、文芸評論家は肌が合わないというか、イメージや感覚がどうもわたしにとっての明晰さをもたらさないということである。この文章、なにいってんだろと思う文脈に出会って、とちゅう飛ばし読みのようなページ繰りもおこないながら、敗戦の最終章が感慨深いもので終わった印象。

 文芸評論家が書いた精神史だからときに文芸論もはさみながら、歴史の「事実史」も追われる。昭和10年代に作家たちは『墨東綺譚』や『雪国』のような自閉的な作品を書いたのかといった章は興味あったが、わかったかのようなわからないような。前線の兵士は戦記物を好まず、美しい山水、日常の物語を好んだようだ。

 基本的にわたしが昭和の精神史に期待することは、明治末に煩悶に落ち込んだ青年たちがマルクス主義に出会い、その後にどうして右翼思想や日本回帰に流れていったのかという精神の内実に迫る書である。桶谷秀昭のこの精神史はその過程をふかく追ったわけではないので、わたしには不満足なものに思えたのだろう。

 冒頭に生田長江の大正末・昭和初期におこなった予言――日本的伝統回帰がおこって急転直下がおこるだろうといったような精神史があげられているのだが、わたしはこの過程にいちばん興味がある。

 外来思想の播種と収穫で捉え、明治末には自然主義と個人主義があった。昭和の初頭にはマルクス主義という播種があり、昭和7、8年ころから日本回帰という収穫がおこったという。日本回帰はマルクス主義と同じ本能の別のあらわれだというのである。こういった精神史をいちばん深く追究したいのである。

 厭世と過激な国家主義は樗牛において一枚のカードの表裏だという指摘がある。隠遁とテロリズムが結びつく、それは大正に明治国家が空洞化していたときに生まれたという。

 大著なのでいろいろな感慨を抱かなかったわけではないのだが、そういった幾箇所か抜き書きもしたいわけではないが、わたしのテーマとは焦点が合っていなかった書というしかない。

 なおこの作品は平成4年に毎日出版文化賞を受賞している。同じようなタイトルに竹山道雄の『昭和の精神史』という本があるが、これは圧倒的な名著だとわたしは思っている。


昭和精神史 戦後篇 (文春文庫)日本人の遺訓 (文春新書)昭和の精神史 (中公クラシックス)知識人―大正・昭和精神史断章 (20世紀の日本)昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)


関連記事
google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
twitter
これから読む本
昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー) 「反戦」のメディア史―戦後日本における世論と輿論の拮抗 (SEKAISHISO SEMINAR) 昭和史の逆説(新潮新書) 「反日韓国」に未来はない (小学館文庫)
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

FC2カウンター

Page Top